重症者数67人 前日比−1人
死亡者7人
え? は? なんこれツジツマ合わんのでは?
ああ 7人死亡して重症者が6人増えたのね
まだ第5波の影響が続いているのか
◇追記:イヤチガ 回復者が計算に入ってないや ってこた新規の重症者はもっと増えているってことかな あ でも 重症者が6人増えているのは間違いないか
Ende;
重症者数67人 前日比−1人
死亡者7人
え? は? なんこれツジツマ合わんのでは?
ああ 7人死亡して重症者が6人増えたのね
まだ第5波の影響が続いているのか
◇追記:イヤチガ 回復者が計算に入ってないや ってこた新規の重症者はもっと増えているってことかな あ でも 重症者が6人増えているのは間違いないか
Ende;
環七柿の木坂などで起きた地震に伴う都内23箇所の漏水だが
水道管の老朽化による破損は一箇所もなく
空気弁の浮き球が地震の揺れで動いてズレて戻らなくなったのが原因だそうだ
空気弁は構造上耐震性がないらしい
何だかマヌケな構造だな
自動で復帰できる構造には出来ないのかね
誤動作する度に現場の職員が首まで水に漬かってバルブ締めなきゃいけないのはおかしいだろ
まだ真冬じゃないからマシだけど 今だって充分寒いぜ 夜中にずぶ濡れは
Ende;
遺伝的な進化というものには目的がありません
合理性のある目的に則って自らの遺伝子を都合良く変えられるメカニズムは存在しないからです
遺伝的進化というものは 「変異」と「淘汰圧力による収斂」のセットで生じる自然現象であって この2つには何の意図も目的も戦略も存在しません
遠藤秀紀が言っている「典型的な間違い」とは 「遺伝的な進化というものが合理的目的に則って都合良く進化するものだ」と大半の人が誤解していることに対して述べているわけです
ですが 実際に従来生物学では「○○のために進化した」とか「生存戦略」だとか「進化は人間よりも賢い」などといった教え方をしていたわけで そもそも生物学者の大半が誤解したまま教えていたためであり 遠藤の主張は説明不足で無責任なものでもある
もう少し具体的な例を挙げておきましょう
昆虫によく見られる擬態は 鳥類や哺乳類などにおいても生じるものであって 雷鳥やユキウサギのように季節に応じて目立たない姿になる性質です
目立たなければ天敵から見つかり難く 逆に捕食の際にも有利に働く形質です
一般的解釈としては 「見つかりたくないから 見つかり難い姿を選んだ」と思われていますが これが遠藤秀紀の言う「典型的間違い」なわけです
遺伝的進化のメカニズムでは 変異というものは多様性を拡大するだけであって 変異はランダムに「見つかりやすい個体」や「見つかり難い個体」への多様な変異が起きるのであって 「見つかりやすい個体」から天敵に捕食されてしまうため 結果的に「見つかり難い個体」だけが生き残ることになったことで生じたのが擬態なのです
ですから 変異によって偶然「見つかり難い」変異が起きた個体以外は全て天敵に喰われて死滅しているのであって 膨大な犠牲の上に成り立つのが擬態という遺伝的進化なのです
ヒトは ここ数万年ほとんど進化が見られないと言われています これはヒトという種の生物は集団組織的に協調行動を採ることによって環境から受ける淘汰圧力の影響が働かなくなったためです
アフリカのサバンナのような環境では 草食獣の多くが逃げ足が速くなる「進化」が起き 逃げ足の速い草食獣を捕食できる肉食獣への収斂による「共進化」が起きていますが
草食獣の逃げ足が速く進化するためには 天敵に襲われた時にただひたすら逃げ回るだけだからこそ逃げ足が速く進化したのであって ヒトのように集団で統率協調的に外敵に対抗できれば逃げ足が速く進化しなくても死滅せずに生き残れたため ヒトは遺伝的には進化することが生存には影響しないため 進化しなくなったと言えるのです
集団統率的に協調行動を採ることを 生物学上では「社会性」と呼びますが これはあくまで動物的な行動習性であって 結果的に生存にとっての必然性は存在しますが 合理的目的や人間性が伴うわけではありません
「死ななければ良い」というのであれば 奴隷でも「死ななければ 生きている」のであって 結果的生存だけを挙げても人間性に適う訳でもありませんし
戦争で殺し合いをしていても 絶滅しなければ「種の保存」にはなるからです
遺伝的進化というものは あくまで「生存」や「種の保存」に適した結果であって 目的が存在するわけではありませんから 都合良く進化できるわけではないのです
ロシアで行われたキツネの人工繁殖では 数世代で多様な変異が見られていますが 自然界ではキツネに多様性が見られません
変異自体は自然界でも人工繁殖でも同様に生じているはずですが 多様性が見られないのはなぜでしょう?
これは キツネの群れの中では特定の形質や習性を持った個体以外が淘汰されているためと考えられます
「考えられます」とは言っていますが それ以外のメカニズムが存在する証拠も論拠も今のところ見つかっていないため 「それ以外には考えようがない」ので おそらく間違いないと言えます
集団統率的な協調行動にとって必要な形質や習性を持たない個体は キツネの群れの中から排除されることで淘汰され 結果的に変異が生じていても多様性は拡大しないのです
見た目が派手な個体への変異が起きて群れの中に目立つ個体が混じっていると 狩りの際に目立ってしまって狩りの成功率が下がってしまいますし そもそも統率協調性の低い個体であれば狩りには向いていません
したがって キツネの群れでは多様性拡大は生存や種の保存にとって不利に働くため 多様性を許容しない性質への収斂進化が働くことになり これが自然界におけるキツネの多様性を妨げていることで 人工繁殖のように多様性が生じないわけです
「多様性を妨げる」習性とは 言うなれば「民族浄化バイアス」でもあります
群れの生存や種の保存にとって有害な個体を排除することが 種の存続にとって有利であるため 進化的に差別排除をしたがる個体種への収斂進化が起きたためと言えるのです
それなら 最初から「変異が起きにくい個体種への収斂進化が起きないのか?」と言えば そう都合良く進化というものは起きないのです
既に変異しやすい性質を持っている以上 これを遺伝的に変異しにくい個体への収斂進化が起きる力学が働かない以上 キツネは民族浄化によって多様性を妨げる以外に何も選択することはできないのです
こうした民族浄化バイアスというものは 群れを形成して統率協調的行動を採る いわゆる生物学上の「社会性」を持った種全般に普遍的に見られる傾向でもあります
ヒトも例外ではありません
ですからヒトはイジメや差別といった行動が一向になくならないのです
しかし ヒトには理性がありますから 個人的に嫌いであっても存在の多様性を許容することが必要で合理性があると「理解」することによって 先天的本能としての民族浄化バイアスが促す行動を自ら抑制することも可能なのです
先天的本能習性というものは 自ら選択したものではありませんから 先天的本能習性という欲望に無為に流されていては到底「自由」意思でもなければ 意識でも 合理的目的でもないのは当たり前の話です
先天的本能習性に抗うということは 気分的に良いものであるとは限りません
むしろ 先天的本能習性によって促される欲望や感情のままに行動しておいた方が 気分的には良いのは当たり前の話であって 祖先が先天的な遺伝的習性任せに行動した結果として生き延びた以上 これは自分ではどうにも選択不可能なわけです
主観的 個人的に嫌いかどうかには 合理的根拠がありません
個人の主観的好き嫌いというのは自分では選択していないものであって 「欲望自体を欲することはできない」のです
社会安全性や持続可能性の観点からは 多様性を許容することが合理的で必要なものであることを理解し 個人的な好き嫌いに依存せずに社会的行動を「選択」することが 「人間」にとっては必要なのです
ヒトという種の生物は 先天的に統率的な協調行動を採る習性があるため これは狩猟採集生活をしていた祖先の生息環境ににおいては生存や種の保存にとっては有利に働いたとは言えますが それはサルやキツネの生存や種の保存という「結果」と基本的に一緒です
遺伝的進化によって組み込まれた形質や習性といったものは 全て「死滅しなかった」という結果以上の意味はなく そこに人間性を伴う合理性や目的が存在する根拠は何もないのです
ヒトの多くは「死にたくない」とか「いつまでも健康で若々しくありたい」と思っていますが どんなに何世代も「死にたくない」と願おうが祈ろうが望もうが呪おうが 死なない個体種への遺伝的進化は起きません
個体の望むようには遺伝的進化は起きないのです
ヒトは塩分や糖分や脂質を過剰に摂取したがる先天的習性があるため 本能欲望のままに飲食していると生活習慣病に陥る傾向があります
これは 塩分や糖分や脂質の乏しいかつての祖先の生息環境の影響を受け継いだためであって 本能欲望のままに行動しておいた方が「目先の快楽を感じる」ことはできても 「望んだような結果が得られる」わけではありません
これは 先天的本能習性には合理的目的が存在しないことの一つの証明です
民族浄化バイアスに関しても あくまで先天的習性であって 合理的目的に則っている保証は何もありません
イジメや差別排除の対象となる人に一貫した傾向性はなく 唯一あるとすれば 「その集団の中で目立つ」とか「少数派である」といった程度の傾向性しかなく 何ら論理的根拠を伴う合理性は存在しません
だからこそ天動説の時代には「地動説は火炙り」という結論になってしまうのです
「内部告発者は裏切り者」にされてしまうのも同様です
「特攻隊は英霊」として扱われ 「政治犯は裏切り者」としか扱われないのです
狩猟採集生活をしていた祖先のかつての生息環境においては民族浄化バイアスは「生存」や「種の保存」には適していた結果ではあっても 「生きていさえすれば全て正しい」というのであれば より暴力的で権力慾の強い個体の方が有利である以上 より暴力的で権力慾の強い個体種への収斂進化が生じていてもおかしくはありません
「生存」や「種の保存」に適していることが 合理的根拠を伴った人間性や倫理に適うわけではないのです
女性がDV男との間に子供を作ってしまいがちなのも ヒトの配偶者選択バイアスに著しい欠陥が存在しているためです
暴力的な男の近くにいた方が 「吊り橋効果」的に心拍数や血圧が上昇することが恋愛感情(繁殖行動バイアス)を促してしまうことによって より暴力的な男との間に子供を作ってしまいがちな傾向が存在するからです
暴力性は人間社会において合理性が全くありませんが ヒトの先天的本能習性というものは 決して合理的目的に則って都合良く進化することはできないため 狩猟採集生活から離れて文明社会を築いて何千年経ってもヒトは殺し合いをやめることがなかなかできないのです
自然界においては喰うか喰われるかの弱肉強食でしか環境調和が成立しません
生態系のピラミッドであっても あくまで生態系全体が環境調和できかった生態系が淘汰された結果であって 合理的目的が存在するわけではありません
自然界においては喰い合い殺し合いによって生態系を維持調和させているとしても これを人間社会に適応しなければならない必要性は何もないのです
生態系のピラミッドであっても 所詮は収斂進化という「結果」以上の意味はなく ただの自然現象であって 自然現象の全てに意味や合理性が伴うわけではなく あくまで自然現象という必然的結果の中の一部分には合理的に目的利用可能なものも存在するに過ぎません
一部分が目的利用可能だからといって 自然現象の全てに合理的目的が存在するわけではないのです
ヒトの先天的な社会形成習性というものは 狩猟採集生活においては統率協調的行動にも生存や種の保存にとっての必然性があったとは言えますが それは決して人間として合理的であるとは言えないのです
先天的な統率協調性というものは 特定の「権威」者への盲目的服従性によって発揮されるものであり これは同時に個体の自律的判断選択を抑制する働きも持っています
唯々諾々と「権威」とみなした対象の意見に従うことで ヒトは統率的協調性を発揮し イジメや差別であっても同じ観念を共有することで気分的に安心満足して差別排除が行えるようになるわけです
同じ観念を共有し 共感によって満足感を得て 同じ排除差別という「目的」に沿った行動をすることで仲間意識を醸成することでさらなる安心満足を得られるからこそ ヒトはイジメや差別排除を益々やめることができないのです
ヒトに限らず動物というのは安心感や満足感という「欲望」を限りなく追求する性質があります
それは 欲望に貪欲な個体程生存や種の保存にとっては有利に働いたため 収斂進化が働いた結果です
自然界における遺伝的進化においては必然的に必要だったとは言えますが 人間社会においては合理性がありません
自然界における弱肉強食による生態系のピラミッドにも 統率協調性による権威盲目性も あくまで「必然的結果」に過ぎず 人間社会の持続可能性や安全性追求という「目的」にとっての合理性があるわけではありません
社会持続可能性や安全性の観点からは むしろ権威盲目性による封建的順位序列は害を為すものであって ましてや「強者のみが生き残る」などという「自然界の必然的結果」を人間社会に持ち込む必要性など一切ないのです
ないにも関わらず 他人よりも優位に立てなければ死んでしまうという強迫観念的恐怖(遺伝子レベルの貧乏性)から ヒトは他人を蹴落としたり社会持続可能性よりも世間的成功などの利己的利益追求の方法論ばかりを優先しがちな性質があるのです
「こうすれば お育ちが良いように見てもらえる」だとか
「勉強すれば世間的に成功して他人よりも身分序列で優位に立てる」といった話の方が大衆には人気が得られやすいのはそのためです
こうした「他人よりも優位に立場に立ちたい」という利己的欲求に基づいているからこそ マナー産業がでっち上げたデマであっても簡単に鵜呑みにしてしまう原因でもあります
合理性のない理不尽なマナーや規範であろうと 現状世間に迎合しておかないと自分の利益に適さないという強迫観念的恐怖(先天的本能)が動機であるため 何の批判精神も論理客観性も働かずに鵜呑みにして目先の安心満足を優先してしまいがちなのです
利己的利益追求よりも 社会安全性や持続可能性を優先していれば 合理性のない理不尽なマナーや根拠のない規範や常識にも無意識に流されることなく異義を唱えることができます
本当の目的が何なのかを理解識別できていれば 論理客観的検証性(理性)がちゃんと働き 常に「むむ? それって本当のところどうなのか?」と自分の頭で考え判断することができるようになるのです
しかし 利己的生存という本能的欲望が優先していれば 世間に迎合することで頭がいっぱいになり 合理的根拠も何もない理不尽なマナーだの規範だの常識だのを簡単に鵜呑みにするようになってしまうのです
冒頭から述べているように 遺伝的進化による先天的本能欲望には合理的目的など存在していないからこそ 個人的主観だけで判断していると嘘でもデマでも見抜けなくなるのです
ヒトという種の生物が 特異に脳容積が大きいにも関わらずデマや嘘を見抜けないバカなのは 自発的に物事を考え判断するようには先天的にできていないからなのです
ヒトは 別に「人間になろう」としてヒトになったわけではなく あくまでヒトに進化したからこそ結果的に「人間としてありたい」とも願うようになったのであって 何が本当の人間性や倫理なのかを理解認識していなければ 「本当の目的」をも忘れて嘘やデマを信じ込んで意味のない因習やマナーに執着するようになるのです
へずまりゅうのように「迷惑な奴なんて ザラにいる」からといって 自分の迷惑行為までをも正当化できるわけではありません
迷惑な人というのは目立つため 報道で扱われやすい傾向もあるため あたかも迷惑者の方が多いような錯覚に陥りがちな傾向がありますが それこそメディアリテラシーとして「自分の主観的感覚を鵜呑みにしない」ことが客観的判断能力として重要となるのです
「生物や その遺伝的進化には目的がない」という話は ネットで調べても文献をいくら紐解いても決して多数意見でも権威の見解としてもほとんど出てきません
その代わりに「生きていることそのものが目的なのだろう」だとか「生きているだけでも 立派なものなのだ」などという更科功の根拠のないはぐらかしでお茶を濁している程度しか周知されていません
論理的には根拠のない「だろう」だとか 主観的感想に過ぎない「立派」などという話は到底科学的論証には一切なりません
科学的真理というものは多数決で決定するようなものではありません
科学や哲学とは あくまで論理客観的に真実かどうかを論理的根拠に基づいて論証されるべきものであって 現在は「少数異端だから間違いだ」という判断をして良い根拠にはなりません
「ウイルスは必ず弱毒化するから 期待して良い」などというデマが出てくるのも 従来の進化生物学上の誤謬に基づくものであり 従来の生物学では「常識」とされていた話だからこそ多数の医療関係者や日本医科大学客員教授までもが言い出してしまったわけです
弱毒化が起きないとは言えませんが 同時に強毒化が起きない保証もないのです そもそも鼻風邪程度の症状しかなかったコロナウイルスが変異したからこそSRASやMARS COVID-19のパンデミックが生じているのであって 地球環境を食い尽くさんばかりに増殖したヒトを培地として 大量発生を抑制する働きとして強毒変異を起こしたり多剤耐性を獲得してしまう可能性もないとは言い切れないのです
東大医学部の学生であっても 医師免許を持っていても 学力偏差値がどんなに高くても 自分の頭で客観的に論理検証できなければデマでも嘘でも平気で言い出すものなのです
医師であれば 何も自らの望んで信用を失うようなデマを言うわけではないでしょう
「騙されている」という点においては「被害者」の範疇に属するとも言えるわけです
しかし 被害者でありさえすれば責任が一切ないわけではありません
自分の頭で考えれば嘘やデマだとわかる話を鵜呑みにしていることもまた 社会的無責任にもなるのです
私は自分の頭で考え判断できないバカが大嫌いです
大嫌いですが これは私の個人的主観であって 社会的にはどうでも良い話です
重要なのは バカが治らないと嘘やデマによって社会安全性や持続可能性や公平性に重大な害を及ぼすことがありますから これは是正する必要性があるわけです
個人的には「既にわかっていること」であるため 「いちいち説明せんでもわかるやろ!」と思ってしまうのですが
文章に書き起こすと意外と長文になるので もしかしすると難しいのかもしれません
学校の教師が生徒に「何でこんな簡単なことがわからないんだ!」と怒っているような構図だとすれば 教師の業績目的のパワハラにしかなりませんが 別に職務で書いているわけでもないので同列に扱われるいわれはありません
バカしかいなくて誰も理解できず それが原因で人類が絶滅しても そんなことまで責任持てませんよ 私しゃ神様でも仏様でもありませんからね
Ende;