書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

卑屈と冷静さの履き違え

2021年10月06日 23時17分30秒 | 意識論関連

暴力者への屈服を「冷静さ」と形容しても そんなものは主観的恐怖を正当化する卑屈な態度でしかない

間違った行動を間違っていると主張することは 決して「冷静ではない」とは言えないのである

多数に対して異議を唱えていれば あたかも「冷静さを欠いている」かのように主観的には感じるのかも知れないが 

それは「多数の主観」に過ぎず 何ら「正しい判断」であることの論証には全くならない

多数に迎合し 暴力者に屈服している方が 気分的には安心であろう

その安心という主観的感覚 本能的な危険回避こそが 統合的見地から見た「本当の危険性」を傍観放置する原因なのである

暴力者に屈服しておいた方が 自分の身の危険は避けられるであろうが その利己性こそがイジメを傍観放置する原因なのである

だからといって 自己犠牲が短絡的に人間性の論証になるわけではない

集団内部において 大多数が自律的な責任判断選択をしていれば 誰も犠牲を出さずに済むのである

イジメが発生した際に 傍観しがちな8割が一斉に反対すれば イジメは簡単に収束する

誰も犠牲にはならない

犠牲が出てしまうのは 大多数が事なかれ主義者日和見主義者であることが原因であって 決して「自己犠牲=人間性」ではないのである

 

 

 ◇

ハリー:ハーロウはサルにも好奇心があることを証明した

サルにある種のパズルを与えた場合 パズルを解く工程の度にレーズンを与えると かえって気が散ってパズルに集中できず むしろ何も与えない方がサルは勝手にパズルを解くようになったという

当時のアメリカで主流となっていた行動主義心理学への反証としてハーロウは評価を得た

 

エサを与えられないと行動を起こさないというのは もはやサル以下だということになる

学力成績という抽象化されたエサ(脳への報酬)を目的とした学習では 本質的な好奇心ではないため 自発的思考検証能力が著しく育まれず 教えたことを教えた通りにしか答えられないバカが出来上がるのである

 

自爆攻撃という暴力的最終解決も 「死後の世界における神からの祝福」や「永遠の命」といった実証不能の抽象的な利害もまたエサ(脳への報酬)によるものであり

日本軍の特攻隊も 「英霊」として合祀されることを栄誉とした戦時中の評価基準を鵜呑みにしたものであり そこに合理的価値が存在するのかどうかを全く自発的には考えないという頭の悪さが原因である

東大医学部学生によるオウム真理教によるテロも 学力が高いだけのバカで 主体的思考検証能力が著しく欠如していたことが原因であり

これらは全て他者から与えられる脳への報酬に対する条件反射的行動であり 「行動主義心理」そのものだと言える

 

 

Ende;

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姉妹

2021年10月06日 21時27分34秒 | 日記

何も見ないで描いた

 

 ◇追記:こんなうっすい落書き見たい人もいるのね 世の中よくわからないわ

 

Ende;

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多分そう

2021年10月06日 16時23分45秒 | 日記

何年か前の夏に

夜中寝室にコガネムシの一種が入ってきちゃったことがあったのね

で カサコソと気になって眠れないので コガネムシの前に手を出したら自分から手にのぼってきたので そのまま平和的に屋外に誘導することができたのよ

ところが数日後 今度は居間に出没してきて ダンボール箱の底にいたので 今度は身体の両サイドを指でつまもうとしたら

全力で拒否られた

もう手足がちぎれててでも離さないつもりらしくて 

ダンボール箱ごと持ち上げても離そうとはしない

さすがに手足がちぎれるところはエグいので見たくないので 仕方なしに箱から出てくるまで放置しておいた

 

何でそんな話を引っ張り出してきたのかというと

カメムシの扱いにも共通するのかなと思ったのよ

カメムシを屋外で見つけた時にも 指を出すと自分からのぼってくることがあって それだけならあの臭い匂いで反撃してきたりはしないのね

手にのぼらせても攻撃されたことがないのよ

でもさ 洗濯物にカメムシがついていたら どうしたって指でカメムシを両側からつまんで離そうとしがちでしょ

多分 それがダメなんだと思うのだ

甲虫ってカブトムシもそうなんだけど 身体を両側からつままれるのが物凄い苦手らしくて全力で抵抗してくる

この状態になるとカメムシは敵意むき出しで毒ガス攻撃を仕掛けてくるんじゃないかと思うのだ

虫を触るのが苦手なら ボール紙のようなものを頭の方から差し出してやれば カメムシはボール紙に自分からのぼってきてくれるんじゃないだろうか

そうすれば平和的に洗濯物から離れてくれるんじゃないかな

無理に引き剥がそうとするのが良くないんだと思う

そう思っているのでオイラはカメムシを背中からつまんだことがないので真偽はわからんのだが

多分そうだと思う

 

知らんけど

 


Ende;

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本当の賢さとは

2021年10月06日 12時32分41秒 | 意識論関連

社会安全性や公平性に配慮できない人間性の欠落したバカを尊敬することはできない

だが バカだと暴力や差別的正義を振り回す「強い」相手に迎合同調して服従しておいた方が本能的には安心満足感が得られるため バカは「勝てそうない相手には逆らわない」ことが「冷静」だと思っているのである

勝てそうにない相手に逆らわない方が 利己的生存価にとっては有利かも知れないが それは本質的には「理性」ではなく 「怖いから逆らわない」という情動であり本能である

そもそも生存自体が「目的」である論拠がない以上 利己的生存にとって有利な行動には何の正当性もないのである

「死ぬのが怖い」という先天的情動の強度程度をどんなに主張しても 先天的情動であるという時点で既に自己選択不可能なものであり 目的であることの論証には全くならず 自己の生存には「結果」以上の意味は存在しないのである

 

バカの意識の表層では 多数や暴力的相手には逆らわずに卑屈に服従することの方が主観的には安心満足であるため この主観を意識の本質だと錯覚していれば人間性を欠いた行動を採る暴力者にも迎合服従するようなるのである

意識の表層 つまり気分感情だけで行動するというのは 先天的な動物的行動習性に則って条件反射的無意識に行動しているに過ぎず 本質的な「人間としての意識」 すなはち「論理客観的検証性に基づいた行動選択」にはならない

ナチス政権下でナチスに迎合したのも

東電社内で上司の顔色を窺って原発の津波に対する脆弱性を放置したのも

エスカレーターでぶつかってくる相手に逆らわないのも

全部主観的気分による安心満足だけであって 当人は「冷静」だと思っていても 本当は「怖いから 本当はやるべきことをしたくない」という人間性を欠いた卑劣な発想を正当化する「こじつけ」や「はぐらかし」や「言い逃れ」という「嘘」に過ぎない

大多数の人民が暴力者に迎合服従していれば 暴力者が実権を掌握することになる イジメが起きても子供の8割は傍観放置者だと言われており これは大人でも同じことである

ヒトは 多数でありさえすれば「正常」だと思うように出来ている

多数派でありさえすれば主観的に安心だからである

そして 「自分だけは絶対に大丈夫」という正常性バイアスによって 自分の主観を信じ込んでいた方が満足なため 全てを疑わなくなるようになることで 論理客観的に深く考えることを一切しなくなるのである

ヒトという種の生物は 物事を論理客観的に深く考えるようには出来ていない

「深く考えよう」とか「これってもしかして間違ってる?」といった素朴な疑問に基づいた論理検証性(理性)が働くようには先天的には出来ていないのである

だからミャンマー軍事政権のような暴力が未だに発生するのである

ヒトは決して「知的生命体」などではない

全然知的ではないのである

知性というと 知識の「量」だけだと多くのヒトは「思う」のかも知れないが 間違ったことを鵜呑みにしていて知能とは到底言えない

論理検証性に基づき真偽を見分けられないことには知能でも何でもないのである

大衆の多くは学力偏差値さえ高ければ「頭が良い」と思っているが これもまた錯覚である

東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒いて「人類の救済だ」などと言い出したことからも ISILの幹部の多くが高学歴なことからも 学力成績と知能には相関がないのである

学力偏差値などが高ければ 世間的に優遇されるものだといった利己的利益のために学力成績に執着しているバカであれば 動機自体が利己的利益を目的にしているという根源的間違いには配慮が働かない

知能とは 利己的利益のためのものではなく 社会安全性や持続可能性や平等公平性を目的とした「人間としての知能」として機能しなければ これは知能でも何でもないのである

「サルの正義」も「神の正義」も要らない そういう「他人の正義」は人間には要らないのである

 

「抽象化されたエサにつられて知識の量を増やしている」だけのバカは多いが それは既存の評価軸に論理客観的根拠が伴うのかどうかを考えたこともなければ 主体的選択すらしていないのである

学問というものを「高い地位身分を獲得すれば有利な立場に立てる」という利己的利益を目的としている時点で人間性を欠いているのであって 「福沢諭吉を疑わない」という盲目性を全く自省していないのである

 

ヒトという種の生物 大多数の衆愚は どうしても利己的利益という生存価に有利な行動だけを目的にしがちな習性があるが こうした遺伝子レベルの貧乏性による欲望の暴走を自覚しないことには 社会安全性や持続可能性や平等公平性は蔑ろにされ 破綻滅亡への道筋を変えることはできないのである

ヒトはバカでいた方が気分的には楽である

物事を深く考え 社会の諸問題にも憂慮していれば楽しくはない

だが 他人からの評価に左右されない純粋な個人的な楽しみを持っていれば 楽しくはなくても配慮せざるを得ない

自分も楽しみたいし 他人の楽しみにも共感することはできる

プラモデルでもコスプレでも粘土細工でも虫取りでも天体観測でも包丁砥ぎでも何でも構わないから 人畜無害な楽しみに熱中することは 人畜無害なら誰にも遠慮する必要はない

まあ プラモデルは石油系樹脂や有機溶剤を使うことにはなるが 何せ物凄いちっちゃいものなので 社会全体の汚染化学物質の総量からしたら極めて微量に過ぎず むしろ趣味としては地球環境には優しいものなのである

「10トントラック乗り心地が良いわー」と称して用もないのにカネに任せて温室効果ガスを撒き散らすことから比べれば 他愛のない趣味である

タミヤやバンダイといった製造者には植物由来樹脂への転換などは求める必要はあるかも知れないが それは個人でどうにかなるものではない

プラモデルに熱中することもまた「バカみたい」ではあろう

トカゲ探して砂漠で穴掘りすることも「バカみたい」ではある

ストラディヴァリウスに取り憑かれていたら「恐怖」すら感じるかも知れない

だが 人畜無害なバカなら それは本質的にはバカではない

それを「バカみたい」と思っている観念や多数の常識の方が間違っているのである

バカで結構

ナチス政権に反対してスイス山中で自決を余儀なくされたことを「愚か」だと形容している方が「本当の愚か者」なのである

ハイデガーのようにナチスに迎合しておいた方が生存にとって有利で「賢い」と 衆愚は「思う」のであろうが それは「衆愚の価値観」でしかない

何が本当のバカなのか 論理客観的根拠に基づいた見分ける能力なくして知能でも何でもないのである

 

 

 

Ende;

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