書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

結果と目的

2021年10月27日 14時24分07秒 | 意識論関連

いくら説明しても遺伝的進化のメカニズムを理解しない大衆やマスコミやバカ生物学者が多くてウンザリさせられる

チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化のメカニズムの説明は あくまで自然現象という結果であって 目的や意図や戦略があるわけではない

バクテリアがヒトにまで進化したからといって ヒト以上の何者かにならなければならない理由があるわけではない

 

遺伝的進化という結果を 短絡的に目的にすり替えるから優生学に陥るのであって 最も根本的な間違いを認識していただかないことには優生学というデマをフィックスすることができない

 

遺伝的進化のメカニズムというのは ゲノムが放射線などの影響によってランダムに変異を起こし 種としてのバリエーションが拡大した後

様々な淘汰圧力によって環境に適応した個体種以外が死滅することで 環境に適応した個体だけへの収斂が生じた結果を遺伝的進化と呼んでいるのである

アフリカのサバンナであればネコ科の哺乳類はライオンだのチーターだのが環境適応して収斂進化が起こるが 西表島ではイリオモテヤマネコが適応して収斂が起こった

しかし ネコ科の生物があらゆる環境に必ず適応できるわけではなく あくまで適応に「成功」した場合以外は全て死滅しているのである

遺伝的進化というのは あくまで環境適応の結果であって 予め「生存」だの「種の保存」だのといった目的に則って起こるわけではなく

「死滅せずに子孫を遺せた」個体種への収斂という結果であって 「生存」や「種の保存」という結果に対する必然性が伴うのは当たり前の話である

「結果に対する必然性」と「合理的目的」との区別ができないなら 科学者としては無能である

 

時折数億年もほとんど姿を変えない生物というのがいる

シーラカンスとかオウムガイが有名だろう

深海などの変化の少ない環境下においては 変異によって姿や形質が変化すると適応できなくなってしまうため 形質が何億年も変わらないまま その環境に適応し続けた結果である

北極海の氷の下では まるでエディアカラ植物群みたいな奇っ怪な生物がウジャウジャ生き残っている

遺伝的進化というのは進歩ではないため 洞窟の奥底では眼が退化したり色素を失ったりもする

「退化」なのか それとも「進化」なのか どっちなんだと「思う」かも知れないが これは「どっちでもない」のが正解である

正解は 「その環境に適応変異した結果」に過ぎない

「進化というものに方向性や目的が存在しているはずだ」という 大衆観念的妄想に基づいているからこそ 進化という自然現象(結果)を合理性ある目的と勘違いするのである

酷い場合には「意識の上では知覚できない謎の無意識な行動バイアスによって知らない間に正しい行動へと導かれている」などという荒唐無稽なファンタジーまで出てくる始末である

遺伝的進化というものに 予め神だか何だか知らない謎の目的意識みたいのが存在していて 自覚することも知覚することもできない謎の行動バイアスによって無意識に正しい行動へと導かれているという妄想を抱いておけば バカで何も考えなくても許されるとでも思って満足できるのかも知れない

バカが何を考えているのかなど知る由もない

衆愚の精神的怠慢を正当化するのに都合が良いから遺伝的進化に目的をこじつけ 認知的不協和を解消しているのであろう

そして「自分達は知的生命体だ」などと勝手に勘違いして満足する

満足して安心すれば それこそが安全性だと勘違いして 論理客観的根拠のないデマや嘘でも鵜呑みにするようになる

 

一部の医師は「ウイルスは弱毒化する」などと言い出しているが その説明は「ウイルスが困る(?)から 環境に適応した変異がどんどん増える」などという 到底科学的とは言い難い謎のプロセスやメカニズムの説明しかしていない

変異自体は常にランダムであり バリエーションを拡大する作用しか働かない

RNAウイルスというのは 一般的な生物とは異なりDNAのような堅牢な自己保持恒常性機能を持たないため 桁外れに膨大な変異を繰り返す流動性を持っており どんな僅かな免疫の隙間(セキュリティーホールのようなもの)でも見つけ出してすり抜けることもできることで 存在を維持し続けてきた

ウイルスが存在するのも結果であって 目的はない

それはウイルス以外の生物においても同じである

赤潮ウイルスが特定生物種(この場合は赤潮プンクラトン)の異常繁殖を抑えて環境調和に役立つといっても それもまた結果であって赤潮ウイルスが環境保全を目的として存在しているわけではなく あくまで「結果的な役割」として働いているに過ぎない

生態系の調和であっても進化の結果であって 環境調和できなかった生態系が全て淘汰され 偶発的に生態系の恒常性を獲得して環境調和できた生態系への収斂進化の結果に過ぎない

だからこそ 生態系というのは少しでも環境変化が起こると簡単に崩壊することもある脆弱でクリティカルなものでもある

生態系の恒常性(安定性)というものは あくまで環境の安定性の上に成立しているものであって 急激な環境変化には追随することができずに あっけなく崩壊するものでもある

ほんの数℃の海水温上昇によって海藻類がウニによって駆逐される「磯焼け」が起きたりする

ウニはシーケンシャルに海藻を喰い尽くすだけであって 最終的には環境を喰い尽くして自滅への道を回避することはできない

急激な環境変化が生ずると 生態系は簡単に崩壊して大量死滅が起こる

過去に地球上で繰り返し起きた大絶滅は RNAウイルスほどの変異流動性を持たないDNAゲノムの生物の大半は環境に適応できず死滅する以外に何もできなかったからである

しかし 地球というのはとても大きいので 完全に全ての生物が絶滅するわけではなく 特定の場所では環境変化が緩やかな場所もあるため 徐々に遺伝的進化の適応が起きることもある

恐竜は6500年くらい前に絶滅したとされていたが 実際には恐竜類の一部は鳥類への変異が環境適応できて現在に至っている

恐竜類の99.99%以上は絶滅しているが たまたま鳥類への変異が起きた個体種だけが環境適応できたことで収斂進化し 鳥類として遺った

現在では地球上に多くの哺乳類が繁栄しているが そもそも哺乳類は爬虫類などから偶然変異した最初の1個体からのバリエーションである

しかも その変異が起きた時にはウイルス感染が関与していることがゲノム解析から解っており これもまた偶発的な結果に他ならない

ウイルスが宿主にどのような作用を及ぼすのかは 予め決まっているわけではなく 宿主に病気を引き起こすこともあればDNAの一部を書き換えて変異を引き起こすこともある

ウイルスによるDNAの書き換え現象自体も偶発的なものであり 書き換えによって宿主に何が起きるのかも全くのランダムで方向性や目的はない

たまたま哺乳類への進化を促すこともあれば 病気を引き起こして宿主ごと死んでしまうこともあれば 何も起きずに共生してしまうこともある

あらゆる遺伝的進化というものは 予め決まった目的のために生じたのではなく あくまで偶発的に環境適応して「死なずに済んだ」という結果でしかない

それは先天的本能習性や行動バイアスも同じことであり 多くのヒトが生活習慣病に陥るのは祖先がかつて生息していた環境による収斂進化の結果であって 無意識に塩分や糖分や脂質を摂り過ぎてしまうのである

 

天動説が信じ込まれていた時代には 地動説は火炙りにされたことがある

多数がバカの社会では 天才であっても生存には適さない

暴力が蔓延している社会なら より力の大きい個体や 強力な武器を持っている方が生存には有利だが 頭が良い個体への収斂進化が起こる淘汰メカニズムは存在しない

イジメが起きている学級では 自殺に追い込むイジメの標的は「誰でも良い」のであり イジメの加害者は集団統率的な協調性(生物学上の「社会性」)の強い個体である

イヌの統率協調性というのは 順位序列による封建性によるものであり イヌは平等が嫌いだからこそ自分よりも弱そうな相手には暴力的に威圧し 逆に自分よりも強そうな相手には迎合忖度して服従するのである

元京都大学学長の山極寿一は 安倍政権を「ゴリラ社会と同じで忖度ばかりしている」と批評したが 山極は普段は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などと先天的本能習性を正当化していたのであり 言っている内容に一貫性がなく 極めて無責任である

ヒトという種の生物は 先天的に権力者などの「怖い相手」に迎合忖度して服従し 統率協調的な集団を形成することによって より強い力を持った集団組織に所属して安心満足する習性がある

これが学校での学級内で発揮されればイジメの原因となる

迎合忖度して服従する相手は「自分よりも上」と見なした対象であって 権力や暴力を振り回す「怖い相手」であって 人間性や倫理はどうでも良いのである

そして暴力者に服従迎合してしまえば 「暴力者に服従迎合している自分」を事後正当化する形で「自分よりも下」と見なした相手に暴力を振るうようにもなる

ナチス政権やポルポト政権 ミャンマー政府軍や香港警察 太平洋戦争中の日本軍など 暴力で民衆を統率したがる独裁集団が権力を掌握してしまうのは 独裁者を「自分よりも上」と見なして服従迎合忖度して独裁集団の威圧に便乗することで安心満足できる大多数の服従者が存在しているからである

アドルフ:ヒトラーが天才的独裁者だったのではなく ヒトラーに服従して評価されることでナチス政権内での地位権力を欲しがった多数の服従迎合者達による暴走なのである

「怖い相手に服従し 迎合忖度し 弱そうな少数派を暴力で服従させようとする行為」は 人間としては卑屈で恥ずかしい行動のはずだが 大多数が暴力者に迎合している環境下では「勝てそうにない相手に逆らう」ことの方が「恥ずかしいこと」にされてしまうのである

それは 生存こそが絶対的な価値としてみなされているからである

「勝てそうにない」ことは生存にとって合理的ではない

ナチス政権に反対すればスイス山中で自決を余儀なくさせられることもある

逆にナチスに迎合して戦後に生き恥をさらしたバカ(マルティン:ハイデガー)もいる

生き恥をさらしてまで生き延びたところで永遠に生きられるわけでもない

「生きるためには」などと称して生存を絶対価値にしてしまうから 人間性や倫理が後回しにされ 社会安全性や公平性が簡単に失われてしまうのである

 

「生存」は結果に過ぎない

誰も自分から「この時代や社会に産まれてこよう」としたわけではない

どんなに「死にたくない」と強く思ったとしても それは先天的な動物としての脳(大脳辺縁系)の常習性によって刷り込み学習された情動に過ぎず 主体的に選択した目的や絶対的価値の論証にはならない

社会安全性や公平性を蔑ろにしてまで生き延びても 人間としては既に死んでいるも同然である

ヒトという種の生物としては生き延びられても 人間として生きられないのであれば 生き地獄でしかない

「生存」は結果であって 目的ではない

人間としての目的とは 社会安全性や公平性への配慮を怠らない理性に基づく行動選択であって

たとえ生存にとって不利であろうとも 犠牲をはらってでも人間としての行動選択なしに生き続ける価値はどこにもないのである

 

より多くの人が社会安全性や公平性への配慮を優先していれば 無駄な犠牲者を減らすことができるのだが

衆愚というのは特定の「英雄」や「天才」のようなカリスマ的な何者かに全てを丸投げしておいた方が自分の怠慢が正当化できるものだと勝手に妄想しているため 無駄な犠牲が後を絶たないのである

衆愚は 何が真理で 何がデマや嘘なのかを自律的には区別せず 多数派や既存の権威を盲目的に信用しておいた方が気分的には安心満足であろう

ヒトとはそういう先天的な認知上の欠陥(バカ)が存在しているから 何度も同じようなバカげた結果に陥ることになるのである

 

衆愚はバカでいた方が安心満足であろう

バカでいることに安心満足しているから「衆愚」と言うのである

衆愚はゾロアスター教でも信奉しておけば安心できるのであろう

フリードリヒ:ニーチェを哲学だと勘違いして「カッコイイ」とでも主観的に思っておけば満足なのであろう

奨学金と称した借金まで背負って大学で教えられた内容には誰も疑問を持たない偏差値が高いだけのバカ学生が大半である

身銭を切って購入した「書籍」でありさえすれば 内容が必ず精査されていると勘違いすることも簡単である

どんなに多数のバカから人気を得ていても バカの多数決ならバカげた内容に過ぎないのは必然的結果である

大多数がバカの社会がどのような結末になるのかは もはや私の知ったことではない

そんなことまで責任負えるわけなかろう

 

 

 

Ende;

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