「できそうにないことは やらない方が良い」
「事実というものは存在しない。 存在するのは解釈だけである。 怪物と戦う者は自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間深淵をのぞきこんでいると、深淵もまたこちらを見ているのである。」
-フリードリヒ:ニーチェ
⇨「客観的事実などない」と養老孟司は言う
マルクス:ガブリエルも「世界は存在しない」と述べた
この手の話は衆愚や似非「哲学者」共には人気があり 論理客観的根拠に基づく真理の探求を否定することで 物事を論理客観的に検証する(考える)ことを放棄するのに都合が良いのである
論理客観的事実というものは 時に主観的感覚とのズレ(錯覚)が生ずることがある
客観的事実の方が感覚的に「嫌」な場合 ヒトは主観的に安心満足できる話の方を信じようとする
ヒトとは そもそも動物であるから 遺伝的進化の過程において気分が良くなる行動を優先することで生き残ってきた「経緯」がある
怖い相手には逆らわず逃げ回り 勝てそうな弱い相手を文字通り「食い物」にして生き残ってきたのである
ヒトという種の生物にまで進化したのは 長い生物史の中ではごく最近の出来事であって 大半は野獣として進化してきたのであって ヒトの情動の大半は野獣と同じものである
という話をすると ヒトの大半は気分が悪くなるため 反射的に拒絶反応をするものである
チャールズ:ダーウィンの進化論に対しての拒絶反応も同じで 「ヒトという種の生物だけは他の野生動物とは異なり先天的に人間性や知性が存在しているはずだ」というアプリオリな感覚との齟齬によって ヒトは論理客観的事実を許容できなくなるのである
洗脳の話で良く扱われる「認知的不協和」とは 要約すれば「気分の悪くなる話を受け入れたがらない」からこそ 一旦洗脳状態に陥ると客観性を著しく欠いた認識しかできなくなるという先天的習性がヒトにはある
そのため 一般的には「進化は進歩だ」と錯覚し 「目的意図や戦略として自らの形質や習性を主体的に選択してヒトにまで進化してきた」かのような誤謬(デマ)が 長い間生物学では主張されてきたのである
こうした生物学上のデマは 生物学上における習性としての「社会性」にまで及び あたかも統率的協調行動や 断片的利他行動さえ抽出してくれば「生物学上の社会性=人間性」という方程式をでっち上げてきたのである
実際には動物の本能習性としての「社会性」というものは 封建的な順位序列による統率協調性に過ぎず その内部ではイジメなどの差別排除も伴う野蛮な動物的「習性」でしかない
サルの群れの中では 小さな弱い子供は若いオスからエサを奪われたり 怖いボスに服従迎合忖度するという卑屈な態度も平気でするのであって 到底「人間としての社会性」とは言えない「野獣の掟」を受け入れる以外に選択肢はない
ロシアにおけるキツネの人工繁殖実験では 数世代で多様な個体への変異が見られるにも関わらず 実際の自然環境下では多様性のある個体は全く見られず 見た目も性格もほとんど同じ個体しか群れを形成していない
これは群れの内部で多様性を許容しない差別排除(民族浄化)のバイアスが働くことによって 見た目や性格が同じような多数派が 珍しい少数派個体を群れから排除することによって多様な変異を抑制しているからである
ヒトの子供も集団で生活させておくとイジメが発生する
子供がイジメの標的にする相手は「誰でも良い」のであって 多数派で集団組織的に何か(誰か)を「狩る」ことの楽しみ(快楽)欲しさに無意識にイジメているのであって 標的に合理的根拠など要らない
ヒトはそもそも先天的に多様性を受け入れたがらない生物なのである
Microsoft社のTwitterAIがヘイトスピーチを深層学習してしまう程に SNS上には差別排除が溢れかえっているのも ヒトという種の生物が本当は差別排除に満足感を得られる先天的習性が存在するからである
ヒトは「権威」と見なした相手の言うことに対して 論理客観的に検証するという批判精神を持とうとしない習性がある
むしろ 唯々諾々と「上」に服従迎合忖度し 自分では何も判断せずに行動責任まで丸投げにすることで残虐行為も平気でできるようになる
これは一部の狂人だけの性質ではなく 普通のヒト全般に普遍的に見られる先天的習性であることがスタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)によって既に「立証」されている
ヒトという種の生物には先天的に認知上の欠陥が存在し 無意識に行動しているとバカげた結果に陥る可能性が高いという事実は 多くの大衆には受け入れ難いため 本論はマスコミにもアカデミーにも黙殺され続けているのである
たとえ遠藤秀紀が遺伝的進化に対する「典型的な間違い」だと主張しても 生物学界内部では少数派であるというだけで 多数派の「間違い」の方を優先して誤謬(デマ)に基づいた論証ばかりを取り上げ続けているのである
マスコミなどというのは 「密集密接を避けましょう」と言いながら尾身茂分科会座長などの後期高齢者への密集囲みぶら下がり取材を自分達からは率先して止めようとはしないバカの集団であり 上司から命令された慣習に唯々諾々と従うだけのバカ記者の集まりに過ぎない
民主主義において報道は 民衆の事実に基づいた行動選択における最も重要な礎であり 科学的誤謬(デマ)を放置しておけば民主主義がバカ主義に陥るのは必然である
生物学界は長い間「生物学上の社会性=人間性」という方程式をでっち上げてきたが 私がこれを誤謬だと指摘したことに対し 京都大学霊長類研究所の松沢哲郎は「先天的本能習性によって 人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという根拠のない無責任なデマで大衆マスコミから人気を集めた
鋼鉄とポリカーボネートの檻の中におけるチンパンジーの断片的利他行動だけを抽出してきて あたかもチンパンジーが先天的に常に利他的行動しか採らないかのような印象操作をすることで マスコミや大衆を「気分が良くなる方向」へと誘導し デマを拡めたのである
ヒトが嘘やデマを信じ込み 疑ったり検証しなくなるという先天的な認知上の欠陥を利用すれば 衆愚を騙すことは簡単である
振り込め詐欺師が警察だの裁判所だの弁護士だの役所だのを装うのは 一般人が「上」とみなしている対象を装うことによって大衆の多くが疑うことをしなくなるバイアス(性質)があるためである
「上」とみなした「権威」には 「勝てそうにない」ので 最初から疑うことを放棄する方が気分的に「楽」だからである
養老孟司だのマルクス:ガブリエルは こうしたヒトの認知上の欠陥を重層的に利用することによって 論理客観的根拠の全くない荒唐無稽なデマで衆愚の人気を集め
何も検証しない衆愚の多数人気は「多数によって検証されている」という錯覚を生み出し 本当は誰も検証していないのに安心して人気に便乗して満足する
論理的思考が得意な天文学や工学 物理学系の研究者達は 生物学や哲学の支離滅裂な話を理解することができず 「専門外」を理由に検証することを拒否するが 同じ大学組織として無責任である
元京都大学学長の山極寿一は 安倍政権を「ゴリラと一緒で忖度だらけ」と批評したが 山極はゴリラには人間性が存在するかのように言い張り 「ヒトには先天的に人間性が存在するはずだ」などという根拠のない勝手な予想で論理的思考の苦手な大衆マスコミから人気を得ていた挙げ句 松沢哲郎による「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという論理的に実証不能の観念を支持していたのであって 言っている内容に論理整合性も責任も全くない その場限りの言い逃れや取り繕いしかしていないのである
ヒトが忖度するのは先天的な習性であり ゴリラにも見られる習性である
魚ですら配偶者には忖度すると言われており 動物の先天的習性としては普遍的なものでもある
忖度して「規範意識」に従い 順位序列を鵜呑みにして盲目的に唯々諾々と権威に服従する習性の 一体どこが「人間性」だと言えるのか 山極も 山極の言っている内容を鵜呑みにしていた衆愚やマスコミも 誰も責任を取るつもりはない
論理客観的に何が嘘で 何が本当なのかを誰も検証しない無責任さを 多数でシェアすれば責任が薄まるという感覚(錯覚)によって 衆愚やマスコミは傍観放置しているのである
ニーチェの言う「怪物」とは具体的に何か
その具体的な基準が曖昧である
観念的な「解釈」に基づけば 主観的に「怖いもの」や「嫌な気分になる話」を「怪物」や「闇」だと「解釈」することは簡単である
ナチス政権下においては ナチスは「元気や勇気が出る勇猛果敢な正義」だと認識され 「怪物」とも「闇」とも認識されていなかった
むしろ無謀にもナチスに反対したヴァルター:ベンヤミンの方が「イカれている」と「解釈」したからこそ ベンヤミンは粛清(排除)の対象にされたのである
「できそうにないことは やらない方が良い」とニーチェは言った
勝てそうにない相手には逆らわない方が 利己的生存価にとっては有利で 利己的には「合理的」なようにも見える
だが そもそも「利己的である」ということ自体に合理性がないことを 衆愚は認識していない
「できそう」か「できそうにない」かは 主観的な「解釈」に依存したものであって 具体性がない
差別迫害に異を唱えることで差別迫害を止めることが「できそうにない」からといって 黙るという選択肢は「ヒト」にはあっても「人間」にはない
ニーチェの言う「闇」だの「怪物」だの「できそうにない」かどうかといった基準の全ては 読み手の主観的な「解釈」に依存したものであって 読み手が勝手に都合良くこじつけることができて勝手に満足するのに「便利」だからこそ ニーチェは大衆人気があるのだ
そして こうした勝手な「解釈」や「こじつけ」で満足することによって むしろナチスという「怪物」の暴走に歯止めがかからなくなったのである
「事実というものは存在しない」などという荒唐無稽な嘘の方が 衆愚の脳にとっては面白くて気分が良くなる麻薬なのである
麻薬中毒になれば 物事を冷静に考えることはできなくなり 麻薬欲しさに暴走を始める
そして 「その麻薬は危険である」という警告は認知的に不協和(気分的に嫌な話)であるため 頭ごなしに無視黙殺され 他人事のように傍観されるのである
Ende;