書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

行動主義 対 認知主義

2021年10月14日 22時51分06秒 | 意識論関連

行動主義の考え方
→行動は遺伝と環境、および個人の経歴によって決定されると考える。言い換えると、行動主義の考え方では、人間が自分の意志で判断や決定を行うとは考えない
→行動は、遺伝や環境や文脈にとって決定されるというこの考え方は決定論と呼ばれる

認知主義の考え方
→人間は意識的に考え、意思決定を行い、感情を感じることが出来ると考える

 出典:https://liberal-arts-guide.com/behaviorism/

 

⇨従来の「行動主義 対 認知主義」の議論自体に著しい間違いがある

ヒトの意識の9割は無意識であり 遺伝と環境によって刷り込み学習された常識や観念によって条件反射的無意識に決定されてしまう

無意識に決定されてしまうのは 先天的本能習性によって促される情動自体が無意識的条件反射だからである

情動(感情)そのものが無意識だからこそ 情動によって促される行動意思決定は無意識なのである

 

ヒトが物事を判断選択する場合 気分的に安心で満足感が得られる選択を優先する傾向がある

気分的に安心満足という情動による選択を 主体的意思決定であると「思って」いる

だが そもそも気分的な安心満足感というものが主体的に選択されたものではないのであり 気分的な安心満足感が得られることに論理客観的根拠に基づいた合理性や効率性が伴うわけではない

例えば 哲学界においてマルクス:ガブリエルの主張に人気があり 多数の哲学研究者が「新時代の哲学だ」と「思って」いれば 誰もマルクス:ガブリエルの主張に根拠がないことには意識が働かなくなる

フリードリヒ:ニーチェやイマヌエル:カントも同様に 論理客観的な根拠がなくても主観的に気分が良くなったり満足感が得られさえすれば盲目的に信奉されてしまうものなのである

これは ヒトには条件反射的無意識にデマや嘘を鵜呑みにするという先天的な認知的欠陥が存在しているためである

センセーショナルで面白いと「感じ」られる話に主観的に感動し 情動が大きく動かされることによって あたかも自分が意識的に「感じ」 主体的に意思選択をしているかのように錯覚しているからこそ デマや嘘でも鵜呑みに出来るのである

ヒトの多くは「主観」を「主体的選択」と勘違いし錯覚しているのである

本当の「主体的選択」とは 既存の自己における「主観」に左右されない客観的論理検証性(理性)の中にある

 

そもそもヒトは自分の脳を自分で選択していない

自分の遺伝子を自分では選べない原理的構造からは 自分の先天的情動自体を選ぶことは出来ないのである

「欲望自体を欲することはできない」のである

自分の先天的情動や欲望というものは あくまで祖先の生息環境の影響を色濃く反映し 客観的合理性の根拠は伴わないのだ

既存の自己そのものは 自己自身では何も選択していないのである

先天的本能習性も 社会や時代から刷り込み学習された価値観も それらは本質的には自分では選択していない

たとえば上流階級出身で 高名な科学者チャールズ:ダーウィンの従兄弟であれば 主張に主観的「説得力」が伴うことで 優生学のような非科学的オカルト観念であっても信じ込まれてしまうのである

ヒトは 先天的に懲罰で何かが解決すると主観的には「思って」いるが 実際には危険学や失敗学の観点からは刑法懲罰は一時停止させて徹底した客観的原因究明や再発防止を優先させるのである

これらは主観がもたらす錯覚によって 根拠も合理性もない行動選択を条件反射的に行ってしまうというヒトの先天的な認知的欠陥が原因である

行動主義派は「行動は、遺伝や環境や文脈にとって決定される」だけだと主張し 予め決まった運命的な決定論的選択しかしないものであると決め付けている

しかし 残念ながらヒトの大半は自分では何も選択していない既存の自己の主観による判断選択だけしかしないため 嘘でもデマでも簡単に信じ込み 何が本当の真実なのかを自分の頭で考えて判断することはしない

一方の認知主義派は「人間は意識的に考え、意思決定を行い、感情を感じることが出来る」としているが 意思決定の基準が主観だけである場合には 結局は行動主義派と同じ決定論的選択にしか至らない

既存の自己の主観的価値観や常識に対し 自己客観的に論理検証することによって 遺伝要因や生育環境に依存しない本当の主体的選択「も」可能となるのである

本当の主体的選択「も」可能ではあるが 自己客観的に主観的観念や常識をも疑わなければ不可能でもある

人間としての意識の本質とは 主観に左右されない客観的論理検証性に基づいた判断選択であり これがない行動の全ては予め運命的に既に決定論的に行動は予測可能な条件反射に過ぎない

犯罪者の行動がプロファイリング可能なのは 犯罪者というのは目先の欲望に踊らされているだけの無意識な行動しかしないからである

 

ヒトの大半はイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が 論理客観的根拠に基づいた「哲学」だと未だに錯覚している

大学で「哲学」として教えている内容でありさえすれば どんなに偏差値の高い学生であっても疑うことをしなくなるものなのである

奨学金という借金まで背負わされているのに まさか「大学で教えている内容が間違い」だとは 誰も夢にも「思わ」ないのである

だが 論理客観的に検証すれば 「絶対に知覚できない叡智界」なんぞ何も根拠がないカントの勝手な決め付けでしかないことは明らかである

「なぜ絶対に知覚できないと言えるのか」の説明もなければ 「なぜ知覚出来ないものが存在すると言えるのか」の根拠も説明されていない にも関わらず大学出身者の誰も 哲学界の誰も 「叡智界」がカントの妄想に過ぎないことには気付かない

これは ヒトという種の生物が先天的に認知的欠陥(バカ)が存在しているため 運命論決定論的に誰も「この話おかしくね?」とは「思わ」ないのである

 

バカをバカという以外に形容詞があることは知りたいとも思わなかったが 認知的欠陥と言い換えることは可能だった

 

「行動主義 対 認知主義」という議論自体がそもそも間違っているのであって どちらも結局は無意識な条件反射行動しか論じていないのである

先天的な認知的欠陥を自覚し 欠陥を補う形で本当の意味での主体的選択を行うことによって 運命的な決定論 すなはち無意識から脱することが可能となるのである

実証不能の神や 大学で教わった内容を どんなに強く「信じたい」と思っても むしろその「思い」の強さ故に客観的根拠を伴う真理から遠ざかることになるのである

認知的不協和とは 要するに「気分の悪い話」のことである

一度自分が過去に信じた話を否定されると 過去に信じた自分の判断をも否定されることになり 気分が悪くなるので反射的に拒絶するようになる

自分の主観的感情が意識の本質だと勘違いしているからこそ 自己客観性を簡単に喪失し 主観的感情によって条件反射(運命論・決定論)的に拒絶するのである

 

認知主義派の「人間は意識的に考え、意思決定を行い、感情を感じることが出来ると考える」という主張は そもそも何が本当の「意識」なのかを理解していないからこそ「感情を感じることができることが意識だ」という勘違いに基づいた主張をしているのである

パブロフのイヌのような条件反射であっても エサが貰えることが食欲(情動)と直結している行動であって 情動こそが無意識な条件反射行動を促すのであって 人間としての本当の意識とは客観的論理検証性(理性)に基づく合理的な根拠を伴う判断である

本当の合理的判断とは 決して利己的なものではなく 自律的な社会的責任判断であり これは行動主義でもなければ認知主義でもない

自律的な社会的責任判断を伴うからこそ 人間としての「心」としても機能するのである

「生存」を目的とした利己的行動選択は 本当は人間としての合理的判断には該当しない

何をどう「感じる」かは人それぞれであり 一貫性はない

何をどう「感じ」るとしても 社会安全性や持続可能性にとって合理性のある判断には 人間としての一貫性は存在するのである

主観的な「思い」の強度程度は 意識の本質の論拠にはならない

 

 ◇

「リベラルアーツ」と言いながら 教え込まれた内容に論理的齟齬や誤謬があっても疑うことなく鵜呑みにしてしまうからこそ 「自由な発想」が出来なくなるのである

 

個人的には 自分の頭で物事を考えられるようになるためには モノ作りをすることが有効なんではないかと思っている

ダンボール工作であっても 論理的に考え設計しなければ思ったように具体的な形にはならないため 素材の性質を見極め 手順を順序立って計画しなければならない

プログラミングも同様である 「素材」が「オブジェクト」や「関数」になっただけのことである

机上でどんなに大量の知識を教え込まれても 反って思考にバイアス(偏り)が刷り込まれてしまって思考の自由度を失うことにもなる

いわば 誰かが作ったモノをただ利用しているだけのような状態になってしまい 利用しているモノに欠陥があることには意識が働かなくなってしまうのである

最初から自分で組み立てたモノや理論であれば どこに欠陥があるのかは組み立て直したり 新たに作り直したりすることが可能になる

何が「本当のこと」なのかを見極める思考の試行錯誤をするためには 他人から「誰かが作った理屈」を与えられるだけではなく 自分の頭で考えることが必要である

自分で物事を検証するために必要な能力とは 他人から教え込まれた内容を鵜呑みにし 教えられた通りに答える能力とは全く別のものである

「勉強さえすれば頭が良くなる」というのは 大衆観念でしかなく 論理的にはデマでしかない

だからこそ東大医学部の学生がテロを起こしたりするのである

 

 

Ende;

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呑気なデマ

2021年10月14日 14時14分16秒 | 意識論関連

遺伝的進化が起きるためには淘汰圧力による収斂が必要であり 環境に適応できなかった個体の全てが死滅することでしか遺伝的進化は生じない

アフリカのサバンナの草食獣は 逃げ足が遅いと「困る」からといって 変異の全てが適応的な個体への変異しか起こさないなどという話にはならない

困ろうが何だろうが変異は常にランダムであり 逃げ足の速い個体と遅い個体の両方への変異が常に起こるのである

その後に環境に適応している逃げ足の速い個体以外 逃げ足の遅い個体の全てが淘汰されることで収斂が生じ 結果的に遺伝的進化となるのである

遺伝的進化が生じるためには 常に大量の淘汰死滅が必要であり だからこそ文明社会においてヒトは遺伝的進化をほとんどしなくなったのである

 

天動説が「常識」の社会環境においては地動説は火炙りにされる

真理が常に環境に適応的であるわけではない

バカが大多数を占める社会環境においては バカでない者が環境に適応的であるわけではない

ヒトの多くは養老孟司のように学術権威の肩書があり 著作が売れて世間的に成功した者の発言は 多数によって内容が担保されているものだと錯覚する傾向がある

優生学の父と言われたフランシス:ゴルトンは チャールズ:ダーウィンの従兄弟で上流階級の産まれであったことから 世間的に成功していることで内容が担保されていると錯覚されたため 優生学などというオカルト観念までをも長期に亘(わた)り生物学界で信じ込まれてきたのである

 

遺伝的に進化が生ずるためには 強力な淘汰圧力が必要であり 多数が死ぬような過酷な条件でなければ特定の能力が発達強化することはない

草食獣の繁殖能力が高いのは 繁殖能力が低い生物種が全て淘汰された結果であって 「困る」から繁殖力が高くなったわけではなく あくまで繁殖力の低い個体種が全て死滅した結果でしかない

正直者がバカを見るような環境の中では 正直者への収斂進化は生じることはなく むしろ巧妙な嘘つきへの収斂進化しか促されることはない

 

 

何だろう 論理客観的にメカニズム構造を説明してもバカだとわからんのかしら

結論から言えば 遺伝的進化が生ずるためには大量に死ぬ環境が必要であって 文明社会ではヒト自体も進化することはないのである

ミクソーマウイルスがアナウサギに対しての弱毒化が生じたのは あくまで自然環境下による強力な淘汰圧力による大量死滅が起きたからであって COVID-19程度の致死率では弱毒化は生じることはない

逆に エボラウイルスのように致死率が高い場合こそ弱毒化は生じてくるのであって 宿主ごと死滅してしまえば残れないからこそ 宿主を死滅させない程度の毒性を持った株への収斂も生ずるのである

COVID-19ウイルスにとって ヒトという環境資源は非常に潤沢であり 当面は種の保存にとっても「困る」ことはない

毒性が強くなろうが何だろうがCOVID-19ウイルスにとっては何も「困ら」ないのである

宿主という環境資源が潤沢にある以上 別に弱毒化する必要性もない

同時に強毒化する必要性もないのだが どちらに変異が起こるかはランダムであり「わからない」のである

元々鼻風邪ウイルスだったコロナウイルスが強毒化する必要性もない

必要性がないのになぜ強毒化したのかといえば 変異がランダムにしか起こらないからである

必要性のない変異は起こる 変異自体には目的はおろか方向性も必要性も何もないからである

生物史の中では過去にトンデモナイ進化を遂げた生物種が存在したことが明らかになっている

ダンクルオステウスのように異常なまでの巨大で強力な顎を持った魚への進化が促されたこともあったが それはあくまで「その当時の生息環境」に適応した結果であって 強力な顎がないと生き続けられないような環境下においてのみ起きた進化であり 進化の果てに絶滅しない保証は何もない

遺伝的進化には目的があるのではなく あくまで生息環境への適応が生じた結果だけであって 進化の果てに生き残れる保証は何もないのである

進化が永遠に「成功」し続けられるわけではないからこそ 長い生物史の中では絶滅した生物種というのが無数に存在しているのである

 

ウイルスの場合は 宿主と一蓮托生であり ウイルスが進化するためには宿主も淘汰圧力を共有しなければならない

治療も感染防止対策も何もせずに感染を拡大させ 感染が起きにくいような状況にまで密が解消すれば 弱毒株への収斂が生ずるメカニズム構造も働くが

宿主が地球上に80億個体を超えるという潤沢な環境資源がある状態では弱毒株への収斂進化は促されることはない

ウイルスというのは 自然環境において異常繁殖した個体を一気に減らす「役割」を持っている

赤潮に寄生するウイルスは赤潮を解消するのである そして充分に密が解消すれば弱毒共生進化への収斂が生じ 宿主を絶滅させない程度の毒性に収斂進化が起こるのである

ヒトが意図的に密を解消すれば 感染拡大は抑制されることになる だが これでは強毒株が宿主ごと死滅する条件にはならないため 弱毒化への収斂は生じない

そもそもコロナウイルスというのは発症する前に他の人に感染する性質があるため 強毒株が宿主を殺しても強毒株だからといって淘汰圧力は働かず 弱毒株への収斂進化は生じない

コロナウイルスはSARSやMARS そして今回のCOVID-19のように 数年に一度の割合で強毒性を発揮することがある それならCOVID-19ウイルス感染を長引かせれば 更なる強毒変異を引き起こす可能性もあり得ることになる

感染力は強くなる方向にしか収斂は生じない以上 高い感染力を持った強毒新型コロナウイルス株が生じてしまう可能性も考慮に入れておく必要がある 断じて「そのうち弱毒化する」などという呑気なデマを信用すべきではない

感染してしまうと高い確率で後遺症も出ることからも 感染して人類にとって有利になる要素は何もない

ヒトの文明社会というのは 自然界の過酷な生存競争とは全く異なる環境であり 到底同列に比較することなどできないのである

どうしてこんな簡単な話すら理解できないのか そもそもなぜ自分で考えて気づくことができないのか こっちが知りたいくらいである

 

脇田隆字・国立感染症研究所長も厚生労働省も弱毒化の兆候は見られないという見解を出している

にも関わらず「ウイルスは弱毒化する」などと論理的根拠も示さず主張している医師や研究者は無責任である

医療関係者がエッセンシャルワーカーだからといっても 無責任なデマを垂れ流して良い理由にはならない

 

Ende;

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進化万能妄想

2021年10月14日 01時08分45秒 | 意識論関連

ウイルスが生き残るためには、宿主(今回なら人)に死なれてが困ります。

困らないように進化するメカニズムはない ヒトが先天性疾患を持って産まれてきてしまうと困るからといって先天性疾患がなくなるわけではない 死ぬか生きるかは結果であり目的ではない

宿主が死ぬとウイルスも生きられないからです。

ですので致死率が低く、かつ感染力の高いウイルスが生存に適しています。

適しているからといって都合良く適した進化が起きるわけではない 進化の果てに絶滅することも充分にあり 生物史の中では幾度もの大絶滅は起きており 中間種のほとんど全ては絶滅しているのである

変異しやすいRNAウイルスではそういった環境に適したタイプのものがどんどん増えていきますので、それにより弱毒化が起こります。

一体どういう淘汰圧力がかかれば弱毒化への収斂進化が起きるのかについて論理的説明にはなっていない

 

 出典:大手町リーレクリニック

 

⇨環境に適した個体種や株種であれば生き残れるのだが 環境に適した個体種や株種以外が全て死滅し 偶発的に環境に適した個体種や株種だけが残った結果が遺伝的進化というものであって 遺伝的進化が起こるためには膨大な死滅(失敗)が必要である

アナウサギとミクソーマウイルスの場合には 最初に膨大な死滅があってこその弱毒化であって それでも致死率は50%にしか低下していないのである

これはヒトのウイルスで言えばエボラ出血熱ウイルスに相当する致死率であり アナウサギほども繁殖力があってこその共生可能なものであって ヒトでこれが再現されれば医療どころか文明ごと崩壊する

現在の生物相というものは 過去に膨大な死滅を伴った収斂の結果であり 収斂が生ずるためには適応した個体以外が全て死滅する必要があり 都合良く適応した個体や株種だけが増えるメカニズムは存在しない

遺伝的進化の結果だけを見て あたかも進化のほぼ全てが成功しているかのように錯覚し 全ての生物種やウイルス株種の全ても必ず進化に成功するかのように錯覚するのはトンデモナイ大間違いである

 

 

Ende;

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