遠藤秀紀が述べている遺伝的進化についての理解における「典型的な間違い」について論じておこうと思う
従来一般的に 遺伝的な進化というものは 最初に「生存」とか「種の保存」といった目的に沿って合理的に選択したものであるかのように解釈されているが これが間違いなのである
遺伝的進化というものは 突然変異と淘汰圧力のセットで生じるものであり このうち突然変異はランダムに生じるものであって 「環境に適応出来る変異」以外にも「環境に適応出来ない変異」もあれば「何も変わらない」場合もある
「変わらない」のに変異とはどういうことかと言うと 染色体を構成するゲノム配列には遺伝に影響を及ぼす領域と 何の影響も及ぼさない冗長な領域があって ゲノムの中の冗長な領域に変異が起きても遺伝的には何も影響を及ぼさない
どのような変異が生じるのかはランダムでカオスなため そもそも生物やウイルスとしてすら成立しない変異が起こることもある
親世代に特に先天的疾患がなくても 子供に先天性疾患が生じることもあり 配偶交配というのは種の保存の仕組みでもあるが 変異を促す仕組みでもあるため 変異といものは悪い方向に働くこともある
遺伝的進化というものは 変異によってバリエーションが拡大した後に環境など様々な影響によって淘汰圧力がかかり 環境に適応した個体種や株種への収斂が生じた結果を「遺伝的進化」と言うのである
「収斂」などという進化生物学界隈でしか使われない言葉を用いてしまうと一般人にはわかりづらくなるかも知れないが 要約すれば「置き換わり」と意味は一緒である
COVID-19ウイルスにおいて デルタ株への「置き換わり」が起きたのは デルタ株の感染力が他の株種に比べて感染能力が高いため より拡がりやすく ヒトが行う感染予防対策環境下においては感染力が弱い株種は感染しづらく 感染しやすい株種は文字通り感染が拡がるため 結果的に「置き換わり」が生じ この「置き換わった」結果のことを収斂進化と言うのである
ミクソーマウイルスがアナウサギに対して弱毒化したのは 95%という高い致死率によって密が解消し 感染が拡がり難い状況になったために 致死率の高い強毒株に感染したアナウサギごと淘汰死滅し 偶発的に発生した弱毒株に感染したアナウサギの方が多く残ったため
収斂(置き換わり)進化が生じたのである
遺伝的進化が生じるためには 膨大な死滅が必要条件であり これはヒトの文明社会では放置されることはない
大手町のリーレクリニックは 「ウイルスが困る」などという理屈を持ち出しているが 「困った」からといって変異が環境に適応的にしか起こらないメカニズムは存在せず 変異は常にランダムである
変異自体は個体の意図目的とは無関係に起こるものであって 誰も望んで先天性疾患を持って産まれてくるわけではない
「進化は人間よりも賢い」などと形容したバカもいたが 進化の結果だけを見て あたかも意図目的にとって合理的に選択したかのように遺伝的進化を誤解しているだけであって 偶発的適応の積み重ねの結果に「賢い」もヘッタクレもないのである
1/1000垓の確率であったとしても いつか必ず起きるのであって どんなに少ない確率であろうとも バクテリアからヒトへの進化は実際に起きたのである
遺伝的進化というものは あくまで自然現象であって 膨大な無駄(失敗)の果てに偶発的に環境適応を積み重ねた「結果」に過ぎず 意図目的や合理性が存在するわけではない
「生存」や「種の保存」にとっての必然性が合理性のように見えるのは 「生存」や「種の保存」という結果に対する必然性に過ぎず 「死ななかった個体が生きている」という どうにも当たり前(必然)の結果を述べているに過ぎない
何度も言うが 遺伝的進化が促される過程では膨大な失敗(死滅)が必要であり 結果だけを見て「賢い」だの「合目的的」だのといった解釈形容詞は科学的には意味がない
どんなに「頑張ろう」が「思おう」が「願おう」が「祈ろう」が「呪おう」が 遺伝的性質は生まれる前から決定されているものであって 誰にも選択不可能なものであって 変異や淘汰圧力に合理性が伴う理由は何もないのである
Ende;