書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

死去解約

2021年10月11日 22時23分05秒 | 日記

契約期間に縛りがある携帯電話契約の場合

途中解約すると1万円くらい解約料を取られちゃうことになっているんだけど

契約名義者が死去した場合には解約料が取られなかったそうだ

auの場合は

他のキャリアのことは知らない

最近は縛りなしの契約が増えたので

どうでも良い話かも知れない

 

何でも良いけど暑かったわ

明日からは急に気温が下がるそうだ

 

Ende;

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非効率な制度

2021年10月11日 16時21分23秒 | 意識論関連

川田亜子アナウンサーのように生活に困窮しておらず しかも世間的には人気女子アナとして認知されていても 当人が主観的に「不幸だ」と思ってしまえば自殺してしまうこともある

絶望感という感覚は あくまで主観であって 自殺することの客観的合理性はない

死ぬことを否定はしないが 肯定もできない

なぜなら「生存」とは生物の「結果」であって「目的」ではないからだ

誰も自らの意思選択でこの社会の中に生まれてきたわけではない以上 「死ぬな」と上から目線で命令する権限は誰にもない

それは他人に「死ね」と命令することと同義である

あくまで個人として 自分が個人的に生きていること 生き続けることに意味を見いだせている者にとって 他人が無為に自死を選択することが許容できないという 主観的な「お願い」以上のことはできないのである

 

幸福感というものは ぶっちゃけ脳内麻薬である

だからエタノールとかニコチンとか違法薬物でも「目先の幸福感」を得ることはできる

だが 泥酔して迷惑をかけている他人が肯定できない以上 自分もまた泥酔して他人に迷惑をかけてしまうことで 自己肯定感を喪失し 「どうせ俺なんかダメ人間だ」という決め付けをすることで 迷惑な行動を繰り返すようになるのである

他人から「迷惑な奴だ」というレッテルを貼られると その「他人からの見た目や印象」を短絡的に「自分の意識(自意識)」だと勘違いし 「誰も自分のことを認めてはくれず 迷惑者としてしか扱ってくれない」ことを理由に迷惑行為を続ける自分を正当化することで 迷惑行為から抜け出せなくなるのである

他人がどう思おうが 認めてくれなかろうが それは他人から見た印象であって 自己そのものの意識の本質ではない

他人から「クソ人間だ」と思われていようが 過去の過ちを教訓として改め 自律的に社会的責任判断選択をすることが人間性の本質である

自分で選択可能であるからこそ自由なのであって 自由意志でもある

自分の意思と 他人からの評価は関係がない

他人からの評価という「環境」に依存しているからこそ 自律的な責任判断選択を放棄するようになるのである

迷惑系ユーチューバーの「へずまりゅう」のように 「迷惑な奴は ザラにいる」ことを根拠に自分の迷惑行為が正当化できるものだと著しく勘違いしているバカが多すぎる

迷惑な奴を 迷惑だと認識しているのであれば 「自分は迷惑行為をしない」という行動選択をすることこそが 社会的責任判断選択というものである

迷惑な者というのは少なからず社会に存在する

原子力発電所の津波に対する脆弱性を放置することもそうだろう

大企業で上司や取締役員の言いなりに粉飾決算をする社員もそうだろう

社会の安全性や持続可能性や平等公平性に配慮せずに 利己的利益や目先の満足ばかりを優先している「隠れ迷惑者」は膨大に存在していると言える

どんなに多くの迷惑者を枚挙陳列しても 迷惑者であることが「普通」であることの証明にも ましてや「正しいこと」の証明にもならない

 

多くのヒトは イマヌエル:カントの「純粋理性批判」が論理客観的根拠に基づいた哲学だと誰も疑わずに信じ込んでいる

「絶対に知覚することのできない叡智界」の存在を 一体どうやって実証するつもりであろうか

そもそも「どうして知覚できない」と言えるのであろうか その論証もカントはしておらず 頭ごなしに決めつけているだけなのである

根拠のないデマや嘘を 哲学だと称して学生に借金させてまで教え込んでいるというのは詐欺ペテン以外の何ものでもない

 

ヒトという種の生物は 論理客観的な根拠や論証がなくても 主観的に気分が良くなりさえすれば その満足感によって論理客観的検証性を簡単に喪失する

ヒトとはそういう欠陥品なのである

人間として欠陥品なのである

遠藤秀紀が述べている「ヒトは欠陥品」という論説とは異なり 遠藤の言っている欠陥とは あくまで「生物として」欠陥品であると述べているに過ぎないので 混同すべきではない

だが 遺伝的進化というものには目的が存在していないという点において 遺伝的進化によって人間性が進歩することもないのである

リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」にあるように 特定環境下においてヒトが利他的行動を採る習性が存在しているとしても それだけで「先天的に人間性が組み込まれていることの科学的論証」にはならないのである

先天的習性というものは 常に環境依存性が伴うものであって 決して「あらゆる環境下でヒトが利他的行動しか採らないこと」を証明しているわけではない

環境や状況によっては 他人を押しのけてでも自分だけが助かろうとする行動も 実社会では数多見られるのである

こんなものは実験で立証するまでもない事実である

状況や環境によってはミャンマー政府軍のように自国民に暴力を振るうことも存在しており こうした現象を全て無視して特定環境下だけに見られる利他的行動だけを抽出してきて「ヒトには先天的に人間性が存在する」と言い張るのは 論理の飛躍も甚だしいご都合主義的解釈であり 到底科学的論証にはならない

中世の戦国戦乱という歴史を歴史家達のご都合主義的解釈によって暴君を「英雄」と見なす酷い政権寄りのプロパガンダを放置することも 到底客観的事実認識とは言えないのである

ナチスやポルポト 日本軍による蛮行など 近代史になった途端に野蛮行為として扱うのは 理解に一貫性がなく 極めて無責任な判断でもある

「一人殺せば殺人犯だが 1万人殺せば英雄」という屁理屈も 歴史家の身勝手な解釈に由来するものであって 殺した人数で評価が変わるなどという非合理な話は「学問」としては著しい欠陥である

 

「どうせ自分は欠陥品だ」と称して絶望し 諦めたり決め付けたりはぐらかしたり他人や社会環境の所為にしたり 落ち込んで意欲をなくしたりするのは簡単である

それは とても簡単なことであり ヒトの大半は簡単なことに簡単に陥るのである

ヒトが欠陥品であることは もはや変えようのない事実であり 「欠陥のないヒトはいない」以上 ある意味「平等」でもある

「へずまりゅう」や田代まさしのように欠陥が著しく発揮される場合もあるが 南アフリカのスラムのギャングや 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖に比べれば まだマシではある

比べる対象はいくらでもあるが だからといって迷惑行為が正当化できるわけではないものの 自分で物事を考え 自律的に社会的責任判断選択を「しない」 或いは「できない」者の精神構造や論理構造を解明し 同じような間違いに陥らないように再発防止対策として確立することは重要である

同じ「ヒト」である以上 誰も同じ間違いを冒さないとは言い切れないのである

誰も迷惑者や犯罪者になりたくて生まれてきたわけではないはずである それなら 迷惑者や犯罪者になってしまう者のプロセス構造を論理的に理解し 同じような過ちに陥らないように工夫することは必要である

「失敗学」的なアプローチを行うためには 刑法罰はその障害にしかならない

刑務所の中の「犯罪者集団の中の社会性」を身につけてしまえば 犯罪者から抜け出すことが益々できなくなってしまうのである

それは 公の資金を投入して犯罪を助長しているようなものでもある

 

 

Ende;

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