書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

うっすいらくがき

2021年10月20日 23時55分28秒 | 日記

 

Ende;

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廃墟

2021年10月20日 14時53分14秒 | 日記

廃墟って映画とかの撮影に使いたい人いるだろうと思うんだが

 廃墟料金所 https://kuruma-news.jp/post/433962

 

 

あ 綾鷹とどん兵衛がコラボしてた

https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG55TuUok74aGR5j448WXX6TM15N53B2dKPJZnIWboq_SL6iiitUf-W3zE5dhcnT73-vHO9-Voh1iMHzjpZfRxniPENgKdA0owmgA81Fa5W18RpXI8zagw7M7s6pqkyURoHcGXg0hHH567pAL8wU_Nm_lmJjvlY0WBEw-coRjZKVRqzioehiM08hygFEaXbfTn2hYT-jEe2RAtB85PhjyR4mfpx8DrTg2wI2XyhwWlNlI/d1735-605-ccee9ed0842cca2d5834-0.jpg

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バカ主義

2021年10月20日 12時11分44秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは あくまで特定の環境に適応したという結果だけであって 目的があるわけではない

「環境の変動に伴って変異が発動する」とか 「環境に適応的な変異だけが起こる」とか そんな話が大衆ウケが良いようですが これらの話には科学的根拠も立証的根拠も何もない ただの妄想に過ぎない

一般大衆の感覚からすると 進化というものは環境変化に伴って都合良くほとんどの個体が生き残れるかのような錯覚を抱いているようだが これが大間違いである

変異自体はランダムで方向性がなく ただバリエーションを拡大するだけであって 変異だけで生存や種の保存に適さない個体も出てくる

しかも 環境に適応的な変異が起きなかった全ての個体種は死滅することで 収斂(置き換わり)進化が生じるのであって 環境変動が起こった場合に大量死滅が起きないと進化にはならない

更に 環境変動に対して適応的変異が追いつかない場合には絶滅(進化の失敗)に至ることになる

逆に ほとんど変動がない環境の場合 変異によって形質や習性が変わらない方が環境には適している場合には 変異した方が死滅することになる

だからシーラカンスとかオウムガイとかナメクジウオとかゴキブリとか 何億年も姿形質が変わらない生物種も存在する

遺伝的進化というのは目的なんぞなくて あくまで特定環境に適応した結果でしかない

洞窟の奥底みたいな環境に適応して眼が退化することもある

「退化」って言いますけど 光のない洞窟では目玉なんぞ要らないので 要らないものに生体資源を取られないように適応進化した結果でもある

だから 遺伝的進化というのは進歩ではない

ヒトの脳が肥大したからといって それ以上に脳が肥大するわけではないし そもそも脳が1400ccもあるのにバカがいなくならず 「へずまりゅう」とか田代まさしみたいなバカも後を絶たない

「生存戦略」だとか行っているバカ生物学者共であっても 田代まさしでも 脳の容積にさしたる違いはない

「感受性」などと称して「主観的感覚こそが自由意志だ」と勘違いしているバカは非常に多い

社会安全性や持続可能性や公平性にとって最も重要なのは 論理客観的根拠に基づいた真理真実「本当のこと」であって レイシストの主観的感覚こそが差別を生み出す原因なのである

多数派で「共感」さえしておけば 気分的には安心満足できるだろう

世間的成功や金儲けにおいても多数派に迎合同調しておいた方が有利であろう

太平洋戦争に突入していった日本人の無為無策や ナチス政権を賛美したドイツ人だけが特別に異常なのではなく ヒトという種の生物というのは社会環境によって簡単に間違った話を鵜呑みにして疑わなくなる先天的な認知的欠陥が普遍的に存在しているのである

バカしかいない社会環境では バカげた話の方が人気が得られるし 金儲けにも有利であり 必然的に「生存」や「種の保存」にとっても適することになる

バカしかいない社会環境では バカへの収斂進化しか起きないのである

ガリレオを火炙りにしようとし ベンヤミンをスイス山中で自決に追いやり 正直者の内部告発者は「裏切り者」として差別排除するのがヒトである

子供だけの集団で放置しておくと自動的自然にイジメ差別が始まるのは ヒトという種の生物には先天的に民族浄化のバイアス(先天的習性)が存在するからである

主観的感覚(無意識)と客観的論理検証性(人間としての本質的意識)を明確に区別するために必要なのは まず本当の意味での主観的な好き嫌いを知ることである

本当の意味での主観的好き嫌いというものは 他人からの評価や報酬に左右されない個人的なものであって 自分が主体的に好きであることが何なのかを知ることにより 結果的に他人の個人的好き嫌いも尊重することができるという客観性も働くようになる

だが 多数他人の価値観に迎合同調しているだけなら多数こそが絶対的な「正義」になってしまい 多様性というものを受け入れる寛容性が失われることになる

自分の好きなものが他人にとっては必ずしも意味や価値がないことを知っていれば 他人の価値観も受容できる寛容さも育つのである

肌が色白な方が好きな人もいるだろうが 中学時代の大森玲子みたいにちょっと色黒なくらいの方がかわいいと思う人がいてもおかしくはない

肌の色が濃い人を見慣れてしまうと 大坂なおみのようなミルクチョコレート色の肌も美味しそうで素敵だなと思えるようにもなる

主観的感覚や好き嫌いなどというものは決して先天的で不変なものではなく 生まれ育った環境によってコロコロと変わる環境依存的な普遍性を持たない個人的なものに過ぎない

中国政府や北朝鮮政府の施策が身勝手で独善的だからといっても 中国人の全てが身勝手で独善的なわけではないし 北朝鮮出身でも同じことである

日本人でありさえすれば善人かと言えば そんなことは全くなく 「へずまりゅう」も麻原彰晃も日本人である

民族国籍で人間としての優秀さやランクが決まるわけではなく ヒト全般における「バカ」か「バカでない」かのグラデーションに過ぎない

それこそ南アフリカのスラムで育ってしまえば粗暴な行動しかできないようになりがちではあるものの これは生育環境が主たる原因であって 先天的にはヒトとして同じなのである

「へずまりゅう」とか田代まさしとか 麻原彰晃とか 迷惑な犯罪者なんぞ挙げたらキリがないが 生育環境に共通する原因があるとすれば これは社会的知識として社会にフィードバックすべき知見である

危険学や失敗学のメソッドに則って 論理客観的に原因を徹底究明し 再発防止への知見「教訓」を導き出すことこそが 社会安全性や持続可能性や公平性にとって最も合理的で効果的な社会制度だと言える

その最大の阻害要因こそが刑法なのである

刑法裁判というのは過去の判例だの判事の心象(主観)だのに基づき 機械手続き的に決定されるだけのものであって 「犯罪者同士の罰の公平性」などという犯罪者以外には何の公平性もない司法手続き上の「論理客観的な根拠のない観念」に基づいた決定がされるだけであって 根拠のない基準に基づいた「妥当性」しか審査されることはなく 論理客観的に社会的合理性は何もないのである

論理客観的合理性が何もないからこそ 建物だの形式に異常な執着をするのである

刑罰というものが あたかも人間としての尊厳であるかのような外見(形式)を装うために まるで宗教施設のような豪華な建築や手続きにこだわるのである

司法役人は社会的合理性なんぞには興味はない 司法役人は既得権益を保守することにしか興味はなく 既存の基準に基づいた「業績(エサ・脳への報酬)」にしか興味はないのである

迷惑者の犯罪者を 国家権力を用いて罰という報復の代替をしても 迷惑者の犯罪者が出てくる原因究明や再発防止にはならない

「上級国民」を拘置所に何年監禁しても アクセルとブレーキの踏み間違い事故がなくなるわけではないし 女子中学生を誘拐監禁した男を9年刑務所に入れておいても「未成年を誘拐監禁するような頭のおかしい男がなぜ出てくるのか」についての原因究明にもならず 再発防止にもならない

これは通り魔やテロリストでも同じである

警察は「テロや通り魔は許さない」などというスローガンを掲げたがるが 「許さない」からといって通り魔やテロが起きなくなる合理的根拠は何もない

「許さない」などというのは 「許したくない」という主観(個人的好き嫌い)に過ぎないのである

ヘイトスピーチに邁進するネトウヨが 「朝鮮半島出身者を許さない」と述べているのと構造的には一緒で 何の客観的合理性も存在しないのである

警察車両による踏み間違い事故や 5歳児を轢き殺した事故に対し 警察は「運転技能訓練(努力)によって再発防止に勉めております」などと言っているが 警察は良いよ 訓練する時間と場所があるからな でも一般ドライバーはそんな暇も資金も場所もないだろ

「努力によって警察だけ事故を減らしました」では意味がない それこそ外見的威信を保っているだけであって 実効的な合理性ある対策には全くなっていないのである

警察も裁判所も 自分達の「業績」にしか興味はなく 社会的な役割には何の興味もない

だから右折禁止の交差点でコソコソと隠れて取り締まりをするだけで 間違って右折しがちなら右折禁止であることがよりわかりやすくする努力もしないし わざと違反する奴に対しては動画撮影などで取り締まるなどの合理的対策もしない

交通違反は現行犯に限られるという手続き上の制限があるというのであれば オービスは違法である

オービスが違法でないなら 右折禁止も動画録画で検挙可能なはずである

バカみたいに暇な時だけコソコソを隠れて取り締まりをしても 何一つ合理的実効性がない

司法裁判も一緒で 「女子中学生を誘拐監禁することは強盗殺人よりも罪が軽い」などと称して懲役9年で本当に更生治療になる保証も証明もないのに 手続き的に決定するだけで 再犯しても誰も責任を負うことはないのである

それこそ「何億円もする高価な美術品を盗むよりは そこら辺をほっつき歩いている女子中学生を誘拐する方が罪が軽いと思った」と述べている犯罪者と 言っている理屈にさしたる違いはない

法手続き上の罪の軽重に拠らず 更生治療が済んでないなら社会に復帰させるべきではない

大衆の大半は「罰で解決」することを望む傾向があるが 松永莉子パパが望むような「再発防止を優先して欲しい」という被害者遺族の願いを無視していることになるのである

それがどれだけ無責任で冷酷な判断選択であるのかすら 大衆は全く自覚していないのである

バカは「上級国民」に「私刑」を執行しておけば満足だが それは松永莉子パパの望みとは全くトンチンカンな利己的満足にしかならない

こうしたヒトの先天的な認知的欠陥に由来するトンチンカンなバカげた「解決」手段というものは 本当の意識というものが何なのかを論理客観的に「理解」しないことにはなくなることはない

ヒトは先天的にバカで 頭が良くなるようには「進化」することもないのである

バカが多いと「困る」からといって 「バカではないような変異しか起こらない」などという科学的には何の根拠もない妄想錯覚を鵜呑みにしているバカの方が大半なのである

バカが大半なら 民主主義的多数決は「バカ主義」にしか陥らない

バカを治さないことには民主主義は正常には機能しないのである

 

 


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