桃太郎線(吉備線)は「吉備の中山」を回込むように進み、吉備津駅に到着する。
その駅の裏手には線路と並走するように旧山陽道が通っていて、そこから正面の
「吉備の中山」に向け600mほどの見事な松並木道が続いている。

吉備津の松並木と言われるもので、「吉備の中山」の西麓に位置し、分国前の吉
備の国の一宮その後も三備(備前・備中・備後)の一宮と称せられた「吉備津神社」
に到る道である。

この神社が文献上に現れるのは、847年と言われているから歴史は相当に古い
ことがわかる。祭神は「吉備津彦神社」と同じ吉備津彦命である。

参道を抜け、急な石段を上がると大しめ縄の下がった本殿・拝殿が姿を現す。
全国でもここだけの屈指の神社建築と言われる「比翼入母屋造り」、俗に「吉備津
造り」と言われる室町時代初期に再建されたもので国宝の建造物である。
それは京都の八坂神社に次ぎ、また出雲大社のそれとは2倍以上もの広さを誇っ
ている。

本殿の横からは、この神社の見所でもある回廊が延びている。
緩やかな傾斜地を巡る回廊は真っ直ぐに伸びながらも、その建物は波のような優
美な曲線で境内にある幾つかの末社や摂社を結んでいる。

回廊沿いには桜や梅ボタンやアジサイなどが植えられていて、四季折々の花木
が参拝者の目を楽しませてくれる。
その中ほどには吉備津彦と温羅伝説に纏わる「御竈殿」が有り、今でもここでは温
羅のお告げによる「鳴釜神事」(お湯を沸かしたお釜の、鳴動の大小や長短で吉凶
禍福を占う)が伝えられている。(続)



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その駅の裏手には線路と並走するように旧山陽道が通っていて、そこから正面の
「吉備の中山」に向け600mほどの見事な松並木道が続いている。

吉備津の松並木と言われるもので、「吉備の中山」の西麓に位置し、分国前の吉
備の国の一宮その後も三備(備前・備中・備後)の一宮と称せられた「吉備津神社」
に到る道である。

この神社が文献上に現れるのは、847年と言われているから歴史は相当に古い
ことがわかる。祭神は「吉備津彦神社」と同じ吉備津彦命である。

参道を抜け、急な石段を上がると大しめ縄の下がった本殿・拝殿が姿を現す。
全国でもここだけの屈指の神社建築と言われる「比翼入母屋造り」、俗に「吉備津
造り」と言われる室町時代初期に再建されたもので国宝の建造物である。
それは京都の八坂神社に次ぎ、また出雲大社のそれとは2倍以上もの広さを誇っ
ている。

本殿の横からは、この神社の見所でもある回廊が延びている。
緩やかな傾斜地を巡る回廊は真っ直ぐに伸びながらも、その建物は波のような優
美な曲線で境内にある幾つかの末社や摂社を結んでいる。

回廊沿いには桜や梅ボタンやアジサイなどが植えられていて、四季折々の花木
が参拝者の目を楽しませてくれる。
その中ほどには吉備津彦と温羅伝説に纏わる「御竈殿」が有り、今でもここでは温
羅のお告げによる「鳴釜神事」(お湯を沸かしたお釜の、鳴動の大小や長短で吉凶
禍福を占う)が伝えられている。(続)



