簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

足守町並み保存地区(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-19 | Weblog
 JR足守駅から4キロメートルほど足守川に沿って北に向かうと、木下家二万五
千石の陣屋町が有る。吉備路の北東に位置し、足守川と岡山平野に育まれた豊
かな地で、昔から経済・交通の要衝として知られている足守の町だ。



 関ケ原の合戦の後、豊臣秀吉の北政所(ねね)の実兄・木下家定が姫路から移
封されたのがはじまりで、以後約250年間にわたり城郭を持たない小藩大名の居
所のある町(陣屋町)として栄えてきたこの地には、かつての建築様式を伝える武
家屋敷や古い町屋などが100戸余り残されている。



 それは明治以降各地で急速に失われた城下町の、特に町人町の風情を今なお
色濃く残すもので、江戸時代の伝統的な間口の広い平入りの家屋が立ち並ぶ町
並み保存地区「足守歴史 ふれあい通り」などで目にする事が出来る。



 重厚な瓦屋根漆喰のなまこ壁などの町屋が立ち並ぶさまは見事で、中でも町屋
の表格子は良好に保存されていると言う。建物の一階部分には、千本格子、切子
格子などと言われる端正な格子がはめこまれ、二階部分に目をやると格子窓、虫
籠窓などと多彩だ。



 町中には武家屋敷の遺構や当時を伝える陣屋の区画割りなど多く残されていて、
当時の侍の生活と町屋の暮らしぶりと言う二つの表情を垣間見ることが出来る。



 またこの地は江戸末期の蘭学者、適塾を開いた緒方洪庵や、明治から大正にか
けて活躍した白樺派の歌人・木下利玄の生誕地としても知られていて、縁の場所
も多く残されている。(続)



  

   

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