足守藩侍屋敷から100mほど行くと、小さな川に沿った「利玄みち」が始まる。

左手に宮路山がそびえ、その南東山麓に広がるのが「旧足守陣屋跡」の遺構で
ある。城郭を持たない小藩の藩主の居館や、藩庁や侍屋敷などが整備されたとこ
ろで、木下家13代の藩主による治世が行われたところだ。

屋形廃止後は文教施設の場として使われていたが、今は広々とした芝生広場の
公園として町民の憩いの場になっている。
そこに隣接して白樺派の歌人として知られる木下利玄の生家が残されている。
明治19年に生まれ、幼少期を過ごしたのがこの地であった。

その先にあるのが、県指定名勝の「近水(おみず)園」である。
小堀遠州流と言われる回遊式池泉庭園で、江戸時代初期に造られてものだ。
一角に立つ吟風閣は、京都の仙洞御所造営時の残材で造られたと言う建物で、
池を望む高台に池を見下ろすように建っている。

すぐ横を流れる足守川の水を引き入れた池に浮かぶのが鶴島・亀島で、周囲に
はカエデや桜が多く紅葉や花見の名所としても知られている。
湖畔には隠れキリシタンのマリア燈籠が立っているが、なぜこの地に有るのかは
良く解ってはいないと言う不思議な石柱である。

この地には藩主や秀吉、北政所ゆかりの貴重な古文書などの資料がたくさん残
されていて、昭和57年に新たに発見された豊臣家関連古文書と共に「岡山市立歴
史資料館足守文庫」として園の一角に建てられた施設で管理されている。
(事前申込制・入館無料)(続)



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左手に宮路山がそびえ、その南東山麓に広がるのが「旧足守陣屋跡」の遺構で
ある。城郭を持たない小藩の藩主の居館や、藩庁や侍屋敷などが整備されたとこ
ろで、木下家13代の藩主による治世が行われたところだ。

屋形廃止後は文教施設の場として使われていたが、今は広々とした芝生広場の
公園として町民の憩いの場になっている。
そこに隣接して白樺派の歌人として知られる木下利玄の生家が残されている。
明治19年に生まれ、幼少期を過ごしたのがこの地であった。

その先にあるのが、県指定名勝の「近水(おみず)園」である。
小堀遠州流と言われる回遊式池泉庭園で、江戸時代初期に造られてものだ。
一角に立つ吟風閣は、京都の仙洞御所造営時の残材で造られたと言う建物で、
池を望む高台に池を見下ろすように建っている。

すぐ横を流れる足守川の水を引き入れた池に浮かぶのが鶴島・亀島で、周囲に
はカエデや桜が多く紅葉や花見の名所としても知られている。
湖畔には隠れキリシタンのマリア燈籠が立っているが、なぜこの地に有るのかは
良く解ってはいないと言う不思議な石柱である。

この地には藩主や秀吉、北政所ゆかりの貴重な古文書などの資料がたくさん残
されていて、昭和57年に新たに発見された豊臣家関連古文書と共に「岡山市立歴
史資料館足守文庫」として園の一角に建てられた施設で管理されている。
(事前申込制・入館無料)(続)



