簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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高松城の水攻め(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-15 | Weblog
 備中高松駅から歩いても10分とはかからないところに「備中高松城址」はある。
この地は北に吉備高原のなだらかな山並みが迫っているとは言え、辺りは僅か
ばかりの小高い丘があるのみの平地で、一面田畑が広がり小さな沼が点在する
見るからに低湿地帯である。



 当時の城はこんな地を巧みに天然の堀として利用した典型的な平城で有あった
ようで、よくお城に見るシンボルとも言える石垣は無く、多くは土塁によって固めら
れていた。



 こんな地に着目した秀吉の軍師・黒田官兵衛は、城を囲むように12日間でおよそ
3キロメートルの堰堤を築き、近くを流れる足守川を堰き止め城を水攻めにした。
元々水量も多くは無い川であったが、折しも梅雨時で増水し城は水中に孤立した。



 1か月にも及ぶ攻防の結果、城主・清水宗治が城兵の命と引き換えに自刃、城は
落城した。折しも京の本能寺では信長が明智光秀の謀反に倒れ、それを隠しての
講和であった。
その後の中国大返しにより歴史が大きく動いたその端緒となった舞台である。



 城跡は今、「高松城址公園」として整備されている。
入口近くには資料館があり、模型やパンフレットなどと合わせボランティアガイドに
よる説明を受けることも出来る。



 広場には芝が張られ、その中央には広大な堀池が有る。
それらを巡るようにつけられた遊歩道を歩いてみてもほとんど起伏のない平坦道で、
このお城の特性がよく読み取れる。本丸跡には清水宗治の首塚があり、近くには自
刃の地や胴塚、築堤跡など見所も多い。(続)







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