簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

陣屋町・足守(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-17 | Weblog
 遠くに見える吉備高原の山並み。その麓に広がる田畑の中に高速道路が延び、
所々に集落や無機質な工場らしい建屋が点在する長閑な車窓風景が展開する。
ここまで来ると岡山市も外れで、岡山平野から総社平野へと変わる辺りに足守駅
が有る。



 空のマッチ箱を置いたような、簡素な駅舎がポッンとあるだけの小さな無人駅で、
駅前に通勤通学のバイクや自転車が雑然と置かれている様はいかにもローカル
駅を思わせる。



 豊臣秀吉が高松城攻めの折り、軍師・黒田官兵衛の献策により堰き止めて水攻
めにしたとされる足守川がすぐ横を流れている。



 秀吉はこの足守駅の裏手辺り(旧門前村)から、丁度このJR桃太郎線に沿うよう
に備中高松駅の東秀吉が本陣を置いた石井山の南麓まで、高さ8メートルもある堤
を僅か12日間で築いたとされている。その距離は3キロメートルほどだ。
多くはその後の開発で削り取られてしまったが、一部がまだ残されていて国の史跡
に指定されている。



 ここ足守はその秀吉所縁の地である。
杉原家定は織田信長の家臣であったが、妹・ねねが秀吉の正室・北の政所となっ
たことで木下姓を許された。
その後関ヶ原の戦いの折りには中立を取り、その合戦ののち播磨姫路城からここ
備中に領地を移され、二万五千石を領したのがこの地の始まりである。



 その後この地に本陣が置かれ、陣屋町として町の整備が行われ、足守藩木下家
は明治維新まで13代に渡り藩主として治めてきた。
そんな江戸の面影を感じさせる町人町が、ここには色濃く残されている。(続)







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