備中高松駅の裏辺りから最上稲荷に向け、県道と並走するように自転車道が
通っている。曲線の少ない道で田畑の中にあっては異彩を放っていて、何となく
気になる道である。

これは鉄道の廃線跡で有る。
現吉備線は明治37年に中国鉄道の吉備線として開通した。
その7年後当時稲荷駅と称していた今の備中高松駅から、「最上稲荷」のある稲荷
山までの2.4Kmで中国鉄道の稲荷山線が開業している。当時の人々は稲荷駅でこ
の線に乗り換え、「お稲荷さん」の参詣に向かっていたようだ。


その終着駅は現在麓に広がる大駐車場の辺りで、そこから仁王門に到る参道が
続いている。参道は緩やかに登る600mほどの坂道に成っていて、両側には旅館
や土産物屋や食事処など凡そ50軒が犇めき合い昔ながらの門前町の風情を色
濃く残している。

当時は境内からさらに山上の奥の院に向けて、ケーブルも運行していたようだ。
旧本殿の建つあたりに麓の山下駅が有ったらしい。
僅か15年の営業運転で「幻の鉄道」と言われているが、近年その当時の貴重な様
子を撮影した16ミリフィルムが見つかり話題になった。


これらの鉄道は残念なことに何れも昭和19年、吉備線の国有化(国鉄)と同時に
廃線になっている。それは太平洋戦争が厳しさを増した時期で、鉄の供出と言う
国策によるものであったと伝えられている。(続)


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通っている。曲線の少ない道で田畑の中にあっては異彩を放っていて、何となく
気になる道である。

これは鉄道の廃線跡で有る。
現吉備線は明治37年に中国鉄道の吉備線として開通した。
その7年後当時稲荷駅と称していた今の備中高松駅から、「最上稲荷」のある稲荷
山までの2.4Kmで中国鉄道の稲荷山線が開業している。当時の人々は稲荷駅でこ
の線に乗り換え、「お稲荷さん」の参詣に向かっていたようだ。


その終着駅は現在麓に広がる大駐車場の辺りで、そこから仁王門に到る参道が
続いている。参道は緩やかに登る600mほどの坂道に成っていて、両側には旅館
や土産物屋や食事処など凡そ50軒が犇めき合い昔ながらの門前町の風情を色
濃く残している。

当時は境内からさらに山上の奥の院に向けて、ケーブルも運行していたようだ。
旧本殿の建つあたりに麓の山下駅が有ったらしい。
僅か15年の営業運転で「幻の鉄道」と言われているが、近年その当時の貴重な様
子を撮影した16ミリフィルムが見つかり話題になった。


これらの鉄道は残念なことに何れも昭和19年、吉備線の国有化(国鉄)と同時に
廃線になっている。それは太平洋戦争が厳しさを増した時期で、鉄の供出と言う
国策によるものであったと伝えられている。(続)


