簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

大磯宿 (東海道歩き旅・相模の国)

2018-05-16 | Weblog



 大磯に向かう国道沿いの右側に茅葺屋根の建物が一軒だけ取り残されるように
建っていた。昔の街道筋にはこんな民家が点在していたのであろう。
古いものはどんどん壊されていく中で、ここだけでもせめて生き残ってほしいと
願わずにはいられない。





 道縁に小さな祠が有った。
高麗寺村と大磯宿の境に立つ虚空蔵堂で、むかしはここに高麗寺の寺領を示す
大きな傍示杭が立てられていたと言う。

 高麗寺は朝鮮半島の高句麗に由来する神社で、この付近には渡来したその一
族が住みついていた。ここには東照権現も併祀されていることから門前では大
名も下馬をして街道を進んだと言われている。
現在この地には高麗山を背に、高来神社が鎮座している。



 その先で左にカーブする国道とは別れ、化粧坂と呼ばれる松並木の残る旧道を
緩やかに上っていく。ここは当時の雰囲気が良く残された気持ちの良い道である。
坂の途中には、虎御前(仇討ちで有名な曽我兄弟の兄・十郎の恋人)ゆかりの
化粧井戸や、一里塚跡、江戸見附跡などの案内看板が立てられている。



 化粧坂を下り、山陽本線を地下道で潜り国道1号線に合流するあたりがかつて
の宿場町の入り口で、その先の照ケ崎海岸入口辺りがその中心であったらしい。
ここには本陣が3軒、旅篭66軒あり、人口は3000人余りいたと言う。



 どこの宿場にも人馬を差配する問屋場が置かれていた。
ここから四里先の小田原宿までのお定め賃金は、人足一人なら九拾文(荷は五貫
まで)、軽尻馬(客一人と荷が五貫まで)なら壱百弐拾四文、乗掛(客一人と荷
が弐拾貫まで)なら壱百八拾三文などと細かく取り決めがされていたようだ。(続)

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