簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

小田原宿 (東海道歩き旅・相模の国)

2018-05-25 | Weblog

 日本橋から83Km(国道1号線)、昔風に言えば凡そ20里、日本橋を出立した
当時の旅人は、天下の険・箱根を控えたこの地を二泊目の宿にしたと言う。
大した健脚に脱帽である。現代の旅人はここまで三泊を要してしまった。



 一里塚跡、江戸見附跡を見て新宿交差点に来た。直進すれば小田原城だ。
昭和35年に外観復元された天守閣は修理中で見られないと言う。
ここで左折し、100mほどの蹴上坂を上りすぐに右折すると、名物のかまぼこを
売る店が建ち並ぶ静かな通りに入って来た。このあたりがかつての宿場町の中心
的なところらしい。



 本陣・脇本陣が共に四軒もあり、旅篭の数は95軒と言い、町の人口も5000人を
はるかに超えていたというから大都会である。
中には飯盛り女や遊女などもいたと言うからこの宿の賑わいぶりが想像できる。



 天下一の難所を明日に控えた旅人はここで十分に英気を養い、また急峻な坂道を
転げるように駆け下りて来た旅人は無事に超えられ安堵する一時を、はたまた酒匂
川の渡しを控え、それぞれの思いを持ってここで過ごしたのであろう。



 町中には「清水金左衛門本陣跡」「「片岡本陣跡」「久保田本陣跡」などが有り
案内板が立てられている。これらと合わせ町の各場所に江戸期の町名とその簡単な
説明が刻み込まれた石柱も立てられていて、一つずつ読んで回るのも面白い。



 「小田原宿なりわい交流館」は旧網問屋を再整備した建物で、市民や観光客の
憩いの場として利用されている。
建物は小田原地方の典型的の商家の造りで、その最大の特徴は「出桁造り」と言う。
主屋より腕木を突出させ、そこに桁を乗せ屋根を被せ、軒天井を貼る工法らしいが、
軒先の造りを豪華に見せる視覚的な効果が大きいと言う。(続)



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