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那古野(なごの)には、古くから今川一族が築いた城が有った。
天文年間には織田信長も居を構えていたが、清須に移った後、その跡を
継いだ叔父の信光が死ぬと廃城になっている。
この那古野こそ、現在の名古屋城の発祥の地である。
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大坂と江戸を結ぶ東海道の、防御を固める名古屋の築城は、巨大な
軍事要塞を造る一大プロジェクトであった。
公儀普請として、西国の二十大名にそのお手伝いが下命された。
恐らく公金だけでは賄えず、お手伝い普請は、有力大名の力をそぎ落
とす狙いも有ったようだ。
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守りの要の石垣は、丁場割図により細かく作業場が割りふられた。
その石は、全国から集められた巨石を用いて築かれている。
風雲は急を告げていたのであろか、工事は慶長15(1610)年6月か
ら始まり、翌年の9月にはほぼ完成する突貫工事であった。
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慶長17(1612)年、五層五階層塔式の天守が完成した。
その高さ百六十六尺(約50m)で、18階建てのビルに相当し、史上
最大の延べ床面積を誇っていた。
使われた檜は2,815本、欅の角材408本、松の角材9,796本、畳はな
んと1,759畳で、檜をふんだん使った城は格別な豪華さだったと言う。
大屋根の上に黄金の鯱を頂き、別名「金鯱城」とも言われた。
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徳川の威信を注ぎ込んだ築城である。
本丸御殿や二の丸御殿の工事も行われ、三年の歳月をかけ完成した。
武家風書院造りの豪華絢爛を極めた本丸御殿は、戦災で焼失したが
近年忠実に復元され、一般公開されている。
高い石垣と深く広い掘り、堅固で巧妙な縄張り、他の城郭なら天
守に匹敵するほどの巨大な隅櫓などに守られた要塞は、近世城郭の
完璧な完成形と言われる程のもので有った。(続)
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