簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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信長が戦勝祈願(東海道歩き旅・尾張の国)

2022-10-10 | Weblog


 七里の渡し場のある宮宿は、熱田神宮の門前町である。
宮は古くは伊勢湾に突出した岬の上の古社との言い伝えがあるが、今で
は周囲は埋め立てられ、賑やかな町並が広がっている。
そこは僅かに高い熱田台地(名古屋台地)の南端に当たる。



 神社は年間700万人の観光客や参拝客で賑わうという。
その内の1/3が初詣客で、東海地方では第一位と言い、むかしから地元では、
「あったさん」と呼び親しまれ馴染み深い神社である。



 日本武尊が東征の折、伊勢神宮に参拝し倭姫の命から授かった天叢雲
剣(あめのむらくものつるぎ)で賊の火攻めを防いだとの伝説がある。
これが八岐の大蛇の尾から出てきた「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」
の元の名とされている。



 熱田神宮の主祭神は、この「草薙神剣」で、「三種の神器」の一つだ。
宮は「日本第三之鎮守」とも、「伊勢神宮につぐ御由緒尊い大社」とも称
され1900年以上も続く歴史がある。



 境内には織田信長が奉納した「信長塀」がある。
桶狭間の合戦の折、僅か六騎で清洲を出た信長は戦勝祈願を行った。
その勝ち戦のお礼としたのが「信長塀」である。

 六万坪を超えるという深い緑に包まれた森には、弘法大師お手植えとの
言い伝えが残る樹齢千年を超える大楠もあるという。



 熱田神宮が鎮座するの熱田台地は、北に向かい一里半程続いている。
宮宿からは、集落が点在し続いていて、そこを辿れば家康の築いた城下町
名古屋の町並にはいりこむ。
東海道の街道筋で、宿場町と城下町がこれほど離れているのは珍しい。(続)



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