簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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尾張の中枢・清洲(東海道歩き旅・尾張の国)

2022-10-24 | Weblog
 「清須」は愛知県の北西部に位置する市で、名古屋の中心部からは北
に数キロ程離れている。
五條川流域の沖積平野に開けた町で、周辺は庄内川や新川の下流域に近
い辺りに位置している。地形は平坦で山や丘など高所に乏しく、殆どが
土砂の溜まった海抜10m未満の土地である。



 昔から大河は無いが、中小の川が多く流れ、相対的に海抜の低い低湿
地帯である。是までも度々水害が発生した土地柄で、近年でも東海豪雨
の折には新川の堤防が決壊し、大きな被害が発生している。



 地名は「キヨス」で、一般的には「清須」の字が多く見受けられる。
一方古くから「清洲」と書かれることも多々有り、今でも混在している。

 平成の大合併では、近接する枇杷島町、清洲町、新川町が合併し(後
に春日町を編入)、人口6.7万人余りの「キヨスシ」となった。
漢字の表記は、「清須市」が用いられている。



 戦国時代の清洲は、織田信長の本拠地と成り、尾張の政治的な中心地で
あった。尾張国の守護所があり、町中を美濃街道が貫き、城下で京・鎌倉
街道と合流し、更に中山道にも通じる交通の要衝として栄えていた。



 城は、平たんな平野部に築かれた平城で、水攻めされればひとたまり
も無く、兵糧を欠くことに成りかねない。
多くの兵士が駐屯するにも、この城郭では手狭で、周辺に拡張する余地
は少なく難しい。



 本能寺の変による信長の死後は、徳川一族が支配するが、家康はこの
地に満足はしていなかった。

 中世以降、追々に街道が整備され、当地も脇往還・美濃街道の宿場町
とは成ったが、東海道筋からは大きく外れていた。
天下統一を狙い西国の押さえの地とするには、この城は余りにも不便で、
何よりも水に弱く脆弱であった。(続)





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