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名古屋城と言えば、天守大屋根の上に輝く金の鯱が有名だ。
築城当時は金の純度が80%で、純金にすると200㎏以上使われ、小判に
すると17,975両分に相当するもので有った。
その燦然と輝く様は、東海道や佐屋道、美濃街道を行く旅人、七里の
渡しの舟上からも認められたという。
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名古屋城は、明治維新の廃城令を生き延びた。
昭和5(1930)年には、城郭として初めて国宝に指定されている。
しかし先の大戦で戦禍に遭い、昭和20(1945)年あえなく何もかもが焼
失してしまう。
幸い鯱の一部は焼け残り、残骸は戦後GHQが接収し、後大蔵省を経由し
て名古屋市に返還された。市はその残骸から金を取り出し、市民に見える
形にしようと、市旗冠頭と茶釜に加工し保存した。
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戦後になり昭和34(1959)年、市民の気運も高まり天守は復元される
ことになった。同時に金の鯱も新調され、賑やかな市中パレードを終えた
鯱は大屋根の上に蘇った。雄は2.62m、雌は2.57m、一対に使用された金
は88㎏、大阪造幣局の手によるものである。
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当時再建を請け負った建設会社から、記念に目にダイアモンドを埋め
込みたいとの申し出があった。
が史実に基づかないと市が断ったとのエピソードも伝えられている。
鯱は想像上の動物で、古くから寺院などに飾られているが、お城などの
屋根に乗る鯱は、火を見ると水を呼ぶとの言い伝えから飾られるものだ。
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天守が復元されたこの年の10月、東海地方は台風15号に襲われた。
未曾有の大型台風は後に「伊勢湾台風」と呼ばれ、死者・行方不明者合
わせて5,098人という国内最悪の大災害を引き起こした。
この年巷では、「お城の鯱が水(高潮の被害)を呼んだ」と、密かに
囁かれていた。(続)
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