菊川に架かる高麗橋を渡ると間の宿・菊川の宿内である。
間の宿は宿場間が長い場合の中間地辺りに開かれるのが普通であるが、
ここ菊川は、金谷宿と日坂宿の間が一里二十四丁(およそ6.5Km)しか
ないのに置かれている。それはこの間には金谷坂や菊川坂があり、更に
その先には箱根、鈴鹿に次ぐ東海道三大難所の一つとも言われる小夜の
中山が控えているからである。
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間の宿では、旅人や人足が休憩の便宜を図るだけで、宿泊することは
原則禁止されていた。また茶店で提供する料理も豪華なものは禁じられ
ていてそこから旅人を慰める料理として大根葉入りの「なめし田楽」が
考案された。当時は名物として提供する茶店が建ち並んでいたと言うが、
今は提供する店はなく、郷土料理として伝わるのみである。
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街道の中程に「間の宿 菊川の里会館」が有り、駐車場の脇に菊石
が置かれ、二人の詩碑・歌碑が建てられている。
昔から付近の川では、菊石と呼ばれる菊の家紋の入った石が多数見つ
かっていて、石の採れる川を菊川と呼んでいたが、それが何時しかこ
の地名になったという。
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また承久の変で捉えられた中納言・藤原宗行は、鎌倉に送られる途中
この宿で泊まり、死期を悟った覚悟の詩を残したという。
それから百年後幕府転覆を企て捉えられて関東送りとなった日野俊基は、
当地で宗行の往事を追悼し自身を重ね、詩を残した。
今ではごくありふれた静かな町並の続く長閑な里山風の菊川であるが、
中世東海道の頃から重要な駅として位置づけられた歴史を重ね、数々の
ロマンを今に伝えている。(続)
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