「年たけて またこゆべきと思ひきや 命なりけり さよの中山」
西行法師の詩である。
『年老いた今こうして、再びこの峠を越えるとは思ってもみなかった。
二度も越えられるのも命があったからなのだ・・・』
『かつてここを通ったのは30歳の頃だったなぁ・・・』
東大寺再建の勧進の道中で、奥州平泉に向かう69歳の西行は、老いた身
体を鼓舞しながら2度目となる峠越を感慨深く体験する。
「小夜の中山」とは、なんとも心地良い優雅な響きのある地名である。
昔からここを旅した西行法師や松尾芭蕉、橘為仲等の文人墨客も、多く
の歌や句を残している。しかし、その地名から受ける穏やかな印象とは
裏腹に、ここには想像も出来ないほどの厳しい峠道が待ち構えている。
急坂に挑む出発地の金谷宿の標高は100mほどだ。
そこから金谷坂を上り茶畑の中の諏訪原城跡辺りで標高220mのサミ
ットを迎えると、その後は「菊川坂」を下り、標高100m程の地にあ
る間の宿菊川まで下り切る。平坦地の菊川の宿内を抜ければその先が、
「小夜の中山(さよのなかやま)」に向かう「上り坂十六丁と云う箭
置(やおき)坂の」急坂が待っている。
菊川坂までの石畳道と違ってここかは、アスファルト鋪装した細い
道が続いている。周りは見渡す限り一面の茶畑で、遙かに見える向い
側の山の斜面の、その先の山までもが皆茶畑だ。
明るい陽光をいっぱいに受けた若葉がキラキラと輝いて見え、吹く
風も爽やかで気持ちが良いが、しかしその道のりは殆どが上るだけの
厳しく長い道である。
そんな「小夜の中山」に、これから取りかかる。(続)
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「銅と弁柄の赤い村」
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西行法師の詩である。
『年老いた今こうして、再びこの峠を越えるとは思ってもみなかった。
二度も越えられるのも命があったからなのだ・・・』
『かつてここを通ったのは30歳の頃だったなぁ・・・』
東大寺再建の勧進の道中で、奥州平泉に向かう69歳の西行は、老いた身
体を鼓舞しながら2度目となる峠越を感慨深く体験する。
「小夜の中山」とは、なんとも心地良い優雅な響きのある地名である。
昔からここを旅した西行法師や松尾芭蕉、橘為仲等の文人墨客も、多く
の歌や句を残している。しかし、その地名から受ける穏やかな印象とは
裏腹に、ここには想像も出来ないほどの厳しい峠道が待ち構えている。
急坂に挑む出発地の金谷宿の標高は100mほどだ。
そこから金谷坂を上り茶畑の中の諏訪原城跡辺りで標高220mのサミ
ットを迎えると、その後は「菊川坂」を下り、標高100m程の地にあ
る間の宿菊川まで下り切る。平坦地の菊川の宿内を抜ければその先が、
「小夜の中山(さよのなかやま)」に向かう「上り坂十六丁と云う箭
置(やおき)坂の」急坂が待っている。
菊川坂までの石畳道と違ってここかは、アスファルト鋪装した細い
道が続いている。周りは見渡す限り一面の茶畑で、遙かに見える向い
側の山の斜面の、その先の山までもが皆茶畑だ。
明るい陽光をいっぱいに受けた若葉がキラキラと輝いて見え、吹く
風も爽やかで気持ちが良いが、しかしその道のりは殆どが上るだけの
厳しく長い道である。
そんな「小夜の中山」に、これから取りかかる。(続)
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