簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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日吉神社御旅所 (東海道歩き旅・近江の国)

2024-02-09 | Weblog
 「泉村 いづみ縄手 松並木あり 立場なり 白菊と云う銘酒有」



 ここ泉村も北脇に続く、松並木が美しい畷と言われた地である。
残念ながら今日松並木は消滅してしまった。それでも旧立場(旅人の休
憩する場所)の村らしく、趣のある平入りの家並みが残されている。
町並から察するに、公民館を中心に泉福寺と淨品寺が建つ辺りまでが、
嘗ての立場では、と思ってみたりもする。



 真っ直ぐに伸びていた旧道は、この先で野洲川に向かって緩く左に曲
がっていく。泉集落を抜けると道は、二手に分かれるが、東海道は左に
取り、泉川に行き当たる。

 その手前で旧道は再び二つに分かれるが、これも左にとって進む。
直ぐに舞込橋でそれを渡る。
泉川は右手この先で野洲川に合流する小さな川である。



 橋を渡ると道路脇に、「日吉神社御旅所」の石柱が建っていた。
「日吉神社」の所在を調べると、JR草津線の貴生川駅の西南西1.5㎞、
水口町三大寺地区に鎮座していた。
又、先程の泉村の泉福寺と淨品寺に近接した地にも同名の社があった。



 説明がないので断定は出来ないが、恐らく後者の御旅所であろう。
因みに御旅所は神社の祭礼等の時、巡行する御神輿(移動中の神様)が、
途中で休憩や宿泊される場所で、同社では4月に大祭が行われている。



 その先に日本橋から数えて、114里目の「泉の一里塚」跡があった。
水口には、林口、今在家(今郷)とこの泉の三箇所に一里塚があった。
本来の塚は、これよりやや野洲川よりにあったが、モニュメントとして
ここに築いたと説明されている。(続)





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