「猪鼻村 上り下り立場なり。坂有り。花坂は上り成り。
此所よもぎもちをうる。」
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本来の旧道は猪鼻交差点を右折し、その先のY字路を右に進み、若宮
神社の社標を見て左折する。
道は直ぐに国道に戻るが、左手に「東海道 猪鼻村」の碑がある。
猪鼻の地名は、鈴鹿の山から下りてくる猪を除ける垣根があった所に
由来している。村は五十戸程の集落で、立場として賑わい、草餅や強飯
が名物だったという。
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山中村を下った街道は、猪鼻交差点辺りからやや上りに転じる。
この辺りの標高は、284.9mで、旧道と接する辺りでサミットの295.5m
を迎え、その先は少しずつ下り、今では大した坂では無い。
当時は、この上りを花坂、下りは蟹ヶ坂と呼んだ。
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国道脇の椎の木を目印に、そこから右の側道、本来の道に入り込む。
右手の森は、白川神社の末社・榎島神社で、この木は樹齢約四百年の御
神木である。境内には、白川神社御旅所石標があり、鈴鹿山にはびこる
山賊を退治した坂上田村麻呂を祀る田村社と、退治された山賊を祀る蟹
社があるらしい。
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平安時代に蟹ケ坂に出没し旅人を苦しめた大きな蟹は、京の僧・恵心
(えしん)により退治された。僧は村人に、蟹供養の石塔を建て、蟹の
甲羅を模した飴(あめ)を作り、厄除けにするように言い残した。
その蟹塚がこの近くに有るらしい。
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旧道は良い雰囲気の平入りの家並みが続いていた。
蟹ケ坂村を抜け、工場の渡り廊下を潜って先に進むと、右手に「蟹坂古
戦場跡」石標がある。
説明によると、 天文11(1542)年9月、伊勢の国司・北畠軍の侵攻
に対して、山中城主・山中丹後守秀国軍は当地で戦い撃退し、北畠勢の
甲賀侵攻を防いだと言う。(続)
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