東海道は、林村に入り、その先上野村から、六地蔵村を抜けていく。
旧街道らしく行き交う車は少なく静かで、何となく懐かしさを感じる家
並みが続いている。所々で軒の低い白壁の民家を目にするが、門口には
「甘酒屋」「人力屋」等と旧家号の書かれた小さな札が貼り付けてある。
林の長徳寺・薬師如来堂の前に、栗太八景詩碑の内の一つ、「上野夜
雨(かみののやう)」の碑がある。
詩碑には「茅屋は寂寥なり上野の郷 村前と村後には雨声長し 陰晴
定難し雲来りて去る 是疑い今宵月光を尋ねん」と書かれている。
すぐ横に古い領堺石が立っていて、「従是東膳所」と刻まれている。
先に常夜灯と共に「新善光寺道」と刻まれた大きな石柱が立っている。
ここから北に、草津線の線路を越えて300m程入った所にある、浄土宗
鎮西派のお寺を案内する道標である。
鎌倉時代中期、当地に住む小松宗定という武士が、信州善光寺に四十
八度詣したある日、三尊が夢に現われた。
歓喜感涙した宗定が分身した如来像を請来したのが寺の始まりという。
東海道は既に六地蔵村に入っていて、そこから160m余で突き当り左
に曲がり南に向かうが、この辺りは「上り下り立場」が有った場所だ。
その突き当りにあるのが、「六地蔵」で知られる旧法界寺だ。
御本尊は像高96.5㎝の「木造地蔵菩薩立像」で、平安時代頃に造られ
たとされる檜の一木造り、国宝に指定されている。
かつて当地には地名の謂れとなった六躯の地蔵尊があったが、その内の
一躯と伝えられている。
寺は衰退し今では無住となり、地蔵堂だけが残されている。(続)
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