
水口宿の宿内は、三筋の通りで構成されている。
片町、松原町を経て作坂町に到る間の左側に、脇本陣と本陣跡があり、
その先が東の高札場で、札の辻と呼ばれていた。
東海道はその西端で二つに分岐する。
三本に分かれた道はおよそ800mあり、通りには旧町名を書いた石柱も
立てられている。

右の通りを北裏通りと言い、町人町らしく、水口神社の祭礼で引き回
される曳山の山倉を幾つか目にすることが出来る。
商店街らしい賑わいの残る左側が本道と思われるが、地元の人は、「何
れも東海道、どちらを通っても宜しい」と言う。

少し行った旅籠町でも街道は二つに分岐する。
左の道は南裏通りと言い、寺町の様相で、円福寺、善徳寺、蓮華寺、西
連寺等多くの寺院が甍を連ねていて、宿場町であり城下町でもある町の
東の備えを構成している。
通り東端南側には伝馬会所が有り、この辺り一帯は川岸と呼んでいた。
当時は野洲川の河原がこの辺りまで広がっていたのであろう。

これまで見てきた宿場では、繁華な宿場を造るため、様々な工夫が成
されていた。
間口の狭い妻入りに建屋を並べ、家屋数を稼いでいる宿場も有った。
又宿内の街道を敢えて曲げ、町並を長くする工夫もされていたが、通り
を三本も通す宿場町は極めて珍しい。

こんな水口宿は折角なので、時間と体力が許すならば隈無く廻りたい。
この高札場から一番右の北裏通りに出て西の高札場まで行き、そこから
南裏通りに入りこの東の高札場に戻る。
最後に中央の通りを西進する一筆書きのルートを辿るのが良いだろう。
旧宿場町の保全に力を入れる町だけに、時間を掛ける値うちはある。(続)



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