![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/6f/995423606f1b6e393601d5f0865644bf.jpg)
旧和中散本舗大角家住宅を背に市道(?県道)に出るとその合流地点
に、ポケットパークが有った。
この辺りは、信楽が近いせいか、タヌキの置物などが飾られている。
園内に、栗東八景「積日の海道と城跡(新緑の日向山と和中散)」の
看板が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/bd/34644e1a3546e4d738e626fc46d7eb97.jpg)
和中散屋敷の「大角氏庭園」は、小堀遠州作の池泉式庭園で、国の指
定名勝となっている。日向山(222.9m)を借景とした庭の眺めは趣があ
り、平成の栗東八景の一つとされている。
そこから少し行くと「東海道一里塚」の石碑が建ち、側には、「和中
散の町 六地蔵/東へ到石部の宿」等と彫られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/10/a61471b3989e0dd8050dfbe8e74c1e46.jpg)
この先の名神高速道路へのアプローチ道を潜る当りから、街道は小野
村から手原村に入っていくが、その少し手前に「五葉の松」と書かれた
札が貼られていた。どの松のことか、良く分からなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/47/ba6aa2553867b17839358aeb6e4375bb.jpg)
その少し先の西巌寺の門前に一本の松が立ち、「肩かえの松」の石碑
が有った。「旅人足などがこの松の木の下で休憩し、荷物を担う肩をか
えた所である」と書かれている。
「手孕村、此辺草津・石部の中成」と言われたように長丁場の中間地
点である。嘗ては伊吹艾(もぶさ)を売る店が有り、家号は亀屋を名乗
る処が多かったと言うが、今日街道筋でその屋号を目にすることは無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/56/2596238cd712aaf36ff4598b7c2c02a0.jpg)
街道に面して国の登録有形文化財の指定を受けた、「里内呉服店」の
主屋の建物が残されていた。二階を低く抑え、雨除けの小庇を設ける等、
外観が明治初期建築の特徴を良く伝えているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/59/f09a85b1b076fb79d00d2ef3edad4ddf.jpg)
西隣には創業が寛政2(1790)年と言う、手原醤油の「塩屋藤五郎」
の建物が建ち、前に「手原醤油顕彰碑」が見える。
美味しいと評判な事を讃える碑らしい。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
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