町並は、夷町から番町、平町と続き、ここには人足会所(にんそくか
いしょ)跡が有った。
人足会所とは、伝馬の定めに於いて、宿駅間の継ぎ立てに従事する人足
を雇うための事務手続きをする役場のことだ。
今ならさしずめハローワークである。
寛永期には平町に設置され、元禄期には平町の会所が廃止され、東伝馬
を併合した問屋場が大池町東端に新たな問屋場として設けられ、会所は
街道の北側に配置された(説明板による)と言う。
東西の見附の間が2.5㎞もあり、三筋町を形成する宿内には、見応え
の有る旧商家や土蔵造りの家、町屋等が軒の低い平入りで多く遺されて
いて、どこを歩いても当時の面影を色濃く残している。
柳町には軒下に「いまむら呉服店」の看板を掲げた、伝統的な平入りの
町屋があった。
町並の中には、旧町名を示す石柱が立てられ、又案内板も豊富に整備
されているので、要所を見逃すこともなく宿場知ることが出来る。
この三筋町はこの先、近江鉄道水口石橋駅横の踏切の手前まで続き、
ここで一本に集束される。「三筋の辻」と言われる場所で、ここにもか
らくり時計が設けられている。
「街道一の人止場」と言われ、行交う多くの旅人と、客引きをする留
め女の声で賑わった三筋の町並を歩いて来た。
どの道筋も趣があるが中でもまん中の通りは、今も商店街の風情があり、
当時の主要な施設跡も多く、中心的な場所を彷彿させている。
地元の人はどの筋も東海道で、どこを通っても構わないという。
しかし、こうして三筋を歩いてみると、矢張りまん中の通りが東海道の
本道で、昔の旅人の多くも、この筋を行交っていたのではなかろうか、
そんな風に思えてくる。(続)
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