右手には名神高速道路、京阪電鉄京津線、国道1号線が併走している。
ここは山に挟まれた狭隘の地で、これらが僅かばかりの平地を仲良く分
け合って、行儀良く並んで一直線に抜けている。
この北の逢坂山下にはJR線が、南の音羽山の下には新幹線も、各々
がトンネルを穿ち抜けている。交通の要衝らしく、逢坂から大谷には東
西を結ぶ動脈・幹線が幾筋も通されている。
国道には、狭いながらも歩道が設けられているのが有り難い。
行き交う車は多く、快適な峠道を、可成りのスピードで行き交っている。
京阪線の電車は、急カーブと山岳トンネルを抜け、安堵したのか一気
に加速しながら、国道の車を追い越して行く。
高速を行く車の喧噪は防音壁に阻まれてはいるが、それでも走行音は
絶えず響いて来る。
月心寺を過ぎ、右にカーブを取り離れていく京阪線と国道とは別れ、
直進して高速の高架を潜り、少し上りながら左の旧道に入る。
昔はこの辺りを「ひうちがはな」と言ったらしいが、今日では近く
に「竹鼻火打谷」の地名だけが残されている。
左側に「大津のお仕置き場」があったと伝えられているが、「はり付
け場」の痕跡は何所にも残されていない。
恐らく高速道路の工事か何かで消滅したのであろう。
東海道の江戸の入口には「鈴ヶ森の刑場」が有ったし、京の入口三条大
橋に近い三条川原は、処刑された罪人の晒し場であったという。
昔は徹底した厳罰主義で、罪を犯せば容赦なく罰せられた。
こうした刑場や晒し場を、敢えて通行の多い場所に設け、「悪いことを
すればこうなる」との見せしめとしていたようだ。(続)
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