弓道仲間の野々市の〇さんと山代温泉でランチをすることにした。加賀の試合に来てくれて身体の具合が悪くて弓は引けないが、リハビリがてらに外出をしていると聞いた。それなら、是非温泉へご案内したいというわたしの申し出に快くこたえてくれて、旅館で温泉ランチというセットプランを利用した。
平日の昼で、しかもゴールデンウィークの後ということもあり、ロビーは深閑としていて貸切状態だった。部屋も取れて、温泉につかって5300円。
自宅から5分で温泉があるというのはしあわせーーー。
弓道仲間の野々市の〇さんと山代温泉でランチをすることにした。加賀の試合に来てくれて身体の具合が悪くて弓は引けないが、リハビリがてらに外出をしていると聞いた。それなら、是非温泉へご案内したいというわたしの申し出に快くこたえてくれて、旅館で温泉ランチというセットプランを利用した。
平日の昼で、しかもゴールデンウィークの後ということもあり、ロビーは深閑としていて貸切状態だった。部屋も取れて、温泉につかって5300円。
自宅から5分で温泉があるというのはしあわせーーー。
小松菜を茹でながら思った。下ごしらえの大切さ。手間のかかるものの美味しさ。
主婦というのは地道な作業を積み重ねて、何の報酬もない。今まで勤めていたので、会社へ行きさえすれば給料が貰えるというシステムから外れたので、報酬がないということは寂しい気がする。
この主婦の仕事は、気になると、手抜きが出来なくなる。会社へ行っていれば、夜しか部屋を見ないので、つい目をつぶってしまう。食事の用意も、3分間クッキングに近い要領で作ってしまう。
ところが、報酬はなくても料理は楽しいが、こんなに長い間やっていても、腕があがらない。きれいな出来栄えでもなく、味もいつも違っている。
と、「中日春秋」に、嬉しいことが書いてあった。家庭料理が職人の料理にまさるのは、味のぶれであると・・・きのうのゴハンと今日のゴハン、きのうの焼き魚と今日の焼き魚は、まったく別のものであり、その微妙な変化が同じ献立の持続を可能にさせているという・・・。
ぶれだらけでも良いのだ。美味しいと言われなくても、みんなが食卓を普通に囲んで、湯気があがっている料理を前に、箸を動かしている。さて、小松菜をどう料理しようか。おひたしにして鰹節もよいし、味噌汁にしてもよいしと、自分が食べたいものを作れることは、食いしん坊にとっては有利な立場だ。
これにお金を貰うことになったら、料理はストレスになるだろう。