自然観察員のMさんと、錦城山へ行った。
錦城山を勉強する会に向けての下調べでもあった。
ひとりで行くのは危ないので、わたしが熊鈴代わりになることをかってでた。
もちろん熊鈴も持っていく。
今のところ、大聖寺に熊が出たとは聞かないが、このところの熊騒ぎである。
気をつけて、誰かと話しながら行くのが良い。
山の文化館駐車場に車を置いて、長流亭を眺めながら錦城山を目指す。
標高63mの錦城山に大聖寺城が築城された。
この地は古代より水陸交通の要衝であり、越前と加賀の国境に近く重要な軍事拠点でもあった。
豊臣秀吉の家臣の溝口秀勝が天正11年(1583)大聖寺領主となった。
慶長3年(1598)溝口秀勝は越後新発田に転封した後、小早川秀秋の重臣であった山口玄蕃頭宗永が領主として入城した。
加賀市と新発田市が姉妹都市となる所以である。
慶長5年(1600)金沢の前田利長は徳川方につき、山口玄蕃は豊臣方として敵対し滅びた。
山口軍1200に対し前田軍は2万5千。
さて、登山口10時24分出発。
この箱の中に、散策コースのパンフレットが入っている。
ほんの少し行くと、贋金造りの洞穴がある。
明治の『パトロン事件」である。
さて、分岐で本丸の方へ行く。
しばらく階段を登ると再び分岐。
結構、息が切れるのでゆっくり上ると、『馬出曲輪跡』がある。
錦城小学校が見える。
再び階段。歩幅が合わなくてつらい。
敵が攻めにくいように造られているので、結構登りはきついのだ。
敵もつらいだろうが、味方だってつらい。
『本丸南虎口跡』
本丸手前に、休憩場所。
『大聖寺城本丸跡』
敵の侵攻を防御するために高く盛った堤防上の土手を「土塁(土居)」と呼び
曲輪を囲うように配置されている。