まこの時間

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失中の美を考える - 頼朝、中原に鹿を遂(お)う

2011-05-08 | 弓道

的中に美はある。多くの人の前で、的中ばかりを披露する名人はいるのかと問えば、たいがいどこかで人間らしさを発揮する機会に遭遇してしまう。

ぬかりなく準備して臨んだ重要な礼射や試合で、不運な弦切れや、筈こぼれなどの失にみまわれるのは、わたしのような粗忽な弓引きだけではなく、高段者や範士の先生でも経験している。その時に、どう始末をつけるかが美であるかもしれない。

公衆の面前でやらかしてしまう、数々の失敗こそが、人間臭さで、その中に美があるのではないかと、例の「春秋弓矢伝」を、読み進むにつれ考えが現れてきた。

「頼朝、中原に鹿を遂(お)う」

頼朝が下野国 那須野の狩の時、大鹿一頭が勢子に追い出されてきた。頼朝は幕下でも名うての射手、下河辺行秀に、これを射るように仰せつけれられた。厳命に応じて行秀は、駆け下る鹿を射止めようとしたが、矢は中たらず、鹿は包囲の外へ走り出ようとした。直ちに行秀にとって代わった小山朝政がこれを追い射とった。これを見た行秀はその場において、髻(もとどり)を切り姿を消し、行方知らずになった。

 行秀に二の矢を射込む隙はなかったのか。その理由を考える。乗馬がつまづいた。又は、弓弦が切れた。いくつかの検証も納得いく。そして、その心境が分かる気がする。

 全国大会予選、同中で決勝。相手チームに勝てば、全国大会へ行けるという時の、おう前だったとして。一番目に射る矢がはずれる。後のふたりが、かろうじて中ててくれ、相手チームも2中。再び、同中競射がおこなわれる。またまた、一番目に外れる。この時点で退場したくなる。しかし、ふたりがまたまた中ててくれる。そして、ふたりのおかげで全国大会出場権を勝ち取るが、気持ちは晴ればれとしない。

 行秀が将軍家に命じられた鹿を射外し、かわりに従兄弟の朝政に射止められ、衆目の前での失態を演じ恥辱に耐えられなかった気持ちは分かる。

しかし、鎌倉時代と違うのは、現代では命がけでなく、次回のチャンスにかけようという、やり直しがきくという甘さがある。

 弓引きだからこそ、分かる失態、不測の出来事。そして、その後に続く失中のかずかずに、興味が惹かれる。

那須与一のように、公衆の面前で手柄を立てるのも胸がすく思いだが、失中の話は人間としての弱さ、不運、そして始末のつけ方に美が潜むのかとも思える。まだまだ、美への謎は深まる。

 

 そして、ううっ。京都の審査で外れた言い訳はしまい。

 


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