土日は中高校生のビデオ審査で、私は土曜日に審査員として出かけた。
高校生が部活を3年間やってコロナの為に昇段審査が受けられないのは可哀そうであるという気持ちは分かるが、本来の審査というのは、やはり本番の道場で自分の力量を試すものであるとつくづく思った。
そもそも弓道の審査や試合は、自分自身の未知の世界にチャレンジするものだと思う。審査員も受審者も緊張感の中で対面するのである。
やり直しのきく道場で淡々と引く姿、途切れ途切れの、的中結果の分かっている再生ドラマを観せられるのだ。
弦音も的中音も実感できないものを6時間見続けるのである。苦行だ。
途中休憩し、昼ごはんも頂いたが。
審査部の方たちも、撮影に携わった先生も大変であったとは思うが、せめて初段と弐段は普通の審査をして、日頃の稽古をどこまで平常心で出せるかを体験してほしい。
単に、コロナ禍でも弓道をした証を残してあげたいというのは違うと思う。
こんな時だからこそ不完全燃焼となっても、まだまだ若い人たちが、もっと弓を引きたい、チャレンジしたいと思って、将来大学や社会人になって続けてくれることを期待したい。
ずっと〇ばかりつけていると、いつの間にか落語でもないのに、落としどころを探してしまう。審査員として仕事をしなくてはという変な責任感が湧く。
ガイドラインがないと、その差は分からない無指定の審査。
結果は、落ちる人が少数になって、かえって落ちた子供が可哀そうな気がする。合格率が高いというのは、落ちた子供にとっては落胆が大きい。
合格率が低いと、落ちたもの同士でまた頑張りましょうと再挑戦する。
どちらがいいのかは別として、本来の昇段審査は、称号者であっても、緊張に負けて、自分でも信じられないおかしな矢が出たりするのだ。
幕を打ってしまったり、矢こぼれをしたり、掃き矢になったりというドラマがある。
残念だったね、入退場が間違ったね。みんなと動作が合っていなかったね。
というような、全体との和も見ることが出来る。
しかし、スクリーンには不可のない動作が続いていく。
薄暗く、頬付けもどうなっているのか見にくい。
息合も伝わらない平面の動き。これは一体何だろう。
早くコロナが収束して本来の審査が出来るようになりますよう。
すべては、コロナのせいなのだった。
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