中日春秋に、「心の栄養」のことが書いてあった。
余計なものは、心に必要なものでもあると。
確かに、最近は断捨離というのをよく耳にする。いらないものを捨てることは整理するには大切な要素だ。思い出の品や写真も、時の流れでいらなくなるものもあるので、見直すことも必要だ。
けれど、余分なものと思えるもの。我が家で言えば、弓の道具は家族のお腹を膨らませるものではない。しかし、夫婦の心は膨らむ。というように、数え上げたらまだまだある。娘が帰ってくるたびに言われる「物がありすぎる」と。娘にとっては、親の趣味などは、いらないものばかりだ。
昨年、食器棚を買った。家族が増えたので食器が入らなくなったのだ。娘ふたりを嫁に出したのになぜかといえば、前より多い人数で集まることが多くなったからだ。結婚前より親子で食卓を囲む率は高くなったように思う。おまけに、孫たち。
食器棚の中を整理しても、許容量は決まっている。人数が増えると皿を増やさなくてはならない。コップも同様。というわけで、棚を買ったら嬉しくなった。空間が増えたからだ。
前に、引き出しや棚の空間は、未来です。というのを聞いたことがある。いっぱいの棚には未来がない。いらないものを捨てれば、そこに、また新しいものを入れる夢がある。
失うことはつらいけれど、空っぽの中に、少しずつ物が増えていくことは、夢がある。会社の引き出しも、少し隙間をつくって、その中に未来を入れておく。わたしの会社人生も後わずかな時間しかないけれど、未来は続く。
明日のことは分からないけれど、未来は続くんですね、かくじつに。 この先なにが待っているんでしょうか。不安な気分にさせられる日本の状況ですが、なんとか明るくいきたいもんです。
ところで、実家には父母が溜め込んだガラクタが数多あるのですが、そろって「断捨離だ」といいつつ、眺めているばかりです。で、それは私の仕事になりそうですが、ただ捨てるんじゃなくて弾力的に洒落た利用方法はないもんか・・・ということで「弾洒利」てなことを考えてみましたが・・・ゃっぱ捨てるしかないか。
弾洒利とは、うまいっ!!
バザーとかして、儲けを義援金として寄付するというのは、どうですか。
しかしながら、有名人の持ち物は高く売れますが、無名のわたしらには、持ち物の価値も安いです。あ、小百合の持ち物だわ。
冗談抜きに、わたしの物も、娘たちに捨てるという作業を強いるだけのものになりそうです。
弾みで捨てられ、おまけに多くて車で捨てに行かなくてはならない「弾車離」