何事にも初めての時がある。その時の、ナイーブな気持ち、緊張感、希望などが薄れていく今日この頃。おまけに、ぎんぎんになって何かにチャレンジしようと思っていない。すごく、腑抜けな夫婦が、京都の弓道の審査に出かけた。
それなりに、積んできたものはあるが、技量は体力の衰えで悪くなる一方、少しでもそれを阻止できるように、僅かに日々の精進をし、反省をしながら謙虚な気持ちで臨もうということになった。
それで、初心の頃を思い出して、私たちが選んだのは、初めて審査に行ったときに食べた京都の鯖寿司の旨い店へ行くということになった。そばと、鯖寿司のセットを食べさせてくれる、平安神宮近くの「ときわ」という古いたたずまいの店だ。亡き先輩とも何回も行った。まず、食べ物で初心を思い出すという方策は他の人から見れば大きくずれているような気もするだろうが、生命の基本である食べ物から入るのは間違っていないようにも思える。短絡的とも言えるが。
本来の目的は合格であるが、稽古不足を自覚し、せめて初めのころの謙虚でナイーブな気持ちを思い出し、これから先の方針を語ることにした。
日々新たなのである。挑むという言葉ではなく、自身を試すという意味合いで、試合という言葉が浮かぶ。
自分の力は知れているにせよ、日頃の力が発揮できるかというところが課題である。旦那の審査を緊張の中で見た。日頃のままの姿がそこにあった。なので、審査は不合格であった。悪くはないよと言いつつ、稽古で指摘していた目線が落ちた時に、「ちっ」と、心の中で思ったが、一足飛びにうまくいくわけがない。私自身どれだけのことが出来るかと思ったら、亀のように遅い歩みでも、前に出ようという気持ちだけは忘れちゃいかんと思えた。
しかし、鯖寿司は相変わらず美味しかった。 亀に似る 東寺の池に 写す夢