![]() | 王妃ラクシュミー 大英帝国と戦ったインドのジャンヌ・ダルク |
ジョイス・チャップマン リーブラ | |
彩流社 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hand_iine.gif)
幼少の頃の話はハッキリとしていないらしい。
ガイド氏の説明によると・・・・
マハラジャ・ビール・スィン・デオと結婚したのが
1842年、30歳と言う事だったが・・・それが本当だとすると、
ラクシュミーの生まれは1812年となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
どうも謎が多い。これが正しいとすると・・・
1835年生まれ、結婚した時にはわずか7歳である。
昔のインドは幼児婚だったため、これも無いとは言えない。
さて・・・デオとの間には男子が生まれたそうだが、
亡くなってしまい跡継ぎがいなかったそうだ。
1954年にジャンシー最後のマハラジャであるデオが病死し、
イギリスがジャンシーを統合しようとした時、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0249.gif)
男装して先頭に立って勇敢に戦ったことから、
「インドのジャンヌ・ダルク」と称される。
しかし・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ab/45ab378febe35143a113a686f2d70d40.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_uma.gif)
ラクシュミー・バーイー・・・うん、ジャンヌ・ダルクのようだ。
と思ったら・・・・なんと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
台座には「マーターの女神、アヒリャー・バーイー」
(1725~1795年)との文字が。
インドのジャンヌ・ダルクは何人もいたと言うことか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0159.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0159.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
【インドの駅】 ~ ジャンシー ~
【インドの宿泊施設】 ~ ホテル・スリナート・イン ~(ジャンシー)
今日のカレー(No.202) ~ホテル・スリナートイン~(ジャンシー)
【インドの城】 ~ ジャンシー要塞① ~(ジャンシー v
【インドの城】 ~ ジャンシー要塞② ~(ジャンシー)
【インドの城】 ~ ジャンシー要塞③ ~(ジャンシー)
【インドの宮殿】 ~ラーニーマハル ~(ジャンシー)
![にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ](http://overseas.blogmura.com/india/img/india125_41_z_dog.gif)