善きイエスの教会という名前で、
日本でも有名なフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されている。
教会の建設は1594年に始まり、1605年に完成した。
外観は正面のみバロック的に装飾されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9a/d58f3776a5d95ba5870fe73595f1a2cc.jpg)
小さな円窓が多数あけられている側壁と鐘楼は、ほかの聖堂と異なり、
塗装のないラテライトの肌で仕上げられた。
内部はシンプルな単廊式の礼拝室で、ルネサンス様式の名残も随所に認められる。
最も華やかに装飾された内陣には、
木彫に金箔をかぶせた豪華な祭壇衝立が設置された。
フランシスコ・デ・ザビエル(1506年頃4月7日~1552年12月3日)は、
スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。
イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、
その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたと教科書に載っている。
日本での2年間の布教活動の後1552年2月15日ゴアに戻った。
そして同年9月に中国へ向かった際46歳で病死した。
遺骸は石灰を詰めて納棺し海岸に埋葬されたが、
その後、マラッカを経由してゴアへ移送された。
長年、なんら腐敗の兆候を示さなかったという。
1554年3月16日から3日間、
聖パウロ聖堂にて棺から出され一般に拝観が許された。
そのとき参観者の1人の婦人が右足の指2本を噛み切って逃走した。
そのため一般公開が10年に1度になってしまったのだ。
なお、その2本の足の指は、彼女の死後聖堂に返された。
ザビエルの聖名を記念する祝日は12月3日と制定された。
何百本もの蝋燭 (ろうそく) が灯され、
その光が堂内の金銀細工の装飾をいちだんと輝かせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/13/e72f14c22cfc39f410ae5ec419bf5985.jpg)
遺体は10年に1度一般公開され、次回は2014年である。
ミイラ・ファンの私としては、是非とも行ってみたいものだ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ec/aa90ab371837ae71481e3bfa0878bffc.jpg)
≪ 関連記事 ≫ ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
ナスカ展
ミイラと古代エジプト展
「インカ・マヤ・アステカ展」
黄金のゴアへ。
ゴアの印象、総括。
【インドの宿泊施設】 ~ホテル・カーサ・パラディソ ~(パナジ)
パナジのレストラン ~ ホテル・ベニーテ ~
【インドの教会】 ~ パナジ教会 ~(パナジ)
ジョージの店
【インドのモスク】 ~ ジャマー・マスジット ~ (パナジ)
【インドの寺院】 ~ マハーラクシュミール寺院 ~(パナジ)
バックウォータ・クルーズ・イン・ゴア。
スパイス・プランテーション。
【インドの象】 ~ ゴア~
【インドの教会】 ~ セバスチャン教会 ~(パナジ)
カジノ・ゴア
【インドの人々】 ~ ゴア① ~
【インドの牛】 ~オールドゴア ~
パナジのレストラン ~ ビバ・パナジム ~
オールドゴアのガンディー像
にほんブログ村
日本でも有名なフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されている。
教会の建設は1594年に始まり、1605年に完成した。
外観は正面のみバロック的に装飾されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9a/d58f3776a5d95ba5870fe73595f1a2cc.jpg)
小さな円窓が多数あけられている側壁と鐘楼は、ほかの聖堂と異なり、
塗装のないラテライトの肌で仕上げられた。
内部はシンプルな単廊式の礼拝室で、ルネサンス様式の名残も随所に認められる。
最も華やかに装飾された内陣には、
木彫に金箔をかぶせた豪華な祭壇衝立が設置された。
![]() | 地の果てまで― 聖フランシスコ・ザビエルの生涯 |
やなぎや けいこ | |
ドンボスコ社 |
フランシスコ・デ・ザビエル(1506年頃4月7日~1552年12月3日)は、
スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。
イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、
その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたと教科書に載っている。
日本での2年間の布教活動の後1552年2月15日ゴアに戻った。
そして同年9月に中国へ向かった際46歳で病死した。
遺骸は石灰を詰めて納棺し海岸に埋葬されたが、
その後、マラッカを経由してゴアへ移送された。
長年、なんら腐敗の兆候を示さなかったという。
1554年3月16日から3日間、
聖パウロ聖堂にて棺から出され一般に拝観が許された。
そのとき参観者の1人の婦人が右足の指2本を噛み切って逃走した。
そのため一般公開が10年に1度になってしまったのだ。
なお、その2本の足の指は、彼女の死後聖堂に返された。
ザビエルの聖名を記念する祝日は12月3日と制定された。
何百本もの蝋燭 (ろうそく) が灯され、
その光が堂内の金銀細工の装飾をいちだんと輝かせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/13/e72f14c22cfc39f410ae5ec419bf5985.jpg)
遺体は10年に1度一般公開され、次回は2014年である。
ミイラ・ファンの私としては、是非とも行ってみたいものだ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/43/be8a115c518b5f8ed883823ff4edd6fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ec/aa90ab371837ae71481e3bfa0878bffc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
ナスカ展
ミイラと古代エジプト展
「インカ・マヤ・アステカ展」
黄金のゴアへ。
ゴアの印象、総括。
【インドの宿泊施設】 ~ホテル・カーサ・パラディソ ~(パナジ)
パナジのレストラン ~ ホテル・ベニーテ ~
【インドの教会】 ~ パナジ教会 ~(パナジ)
ジョージの店
【インドのモスク】 ~ ジャマー・マスジット ~ (パナジ)
【インドの寺院】 ~ マハーラクシュミール寺院 ~(パナジ)
バックウォータ・クルーズ・イン・ゴア。
スパイス・プランテーション。
【インドの象】 ~ ゴア~
【インドの教会】 ~ セバスチャン教会 ~(パナジ)
カジノ・ゴア
【インドの人々】 ~ ゴア① ~
【インドの牛】 ~オールドゴア ~
パナジのレストラン ~ ビバ・パナジム ~
オールドゴアのガンディー像
![にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ](http://overseas.blogmura.com/india/img/india125_41_z_cosmos.gif)