2017年の作品、タイトルは「マサラ・チャイ」。
ミルクと砂糖で煮詰めた紅茶にスパイスを入れて煮詰めた、
インドの国民的飲料の事。
冒頭で「チャイ屋の出世頭はナレンドラ・モディである。」との
ナレーションがあるのだが、モディの政治戦略の一部なのか?
5人のチャイ屋にスポットを当てたドキュメンタリーである。
インドの首相モディはチャイ屋の倅であったと言われているが、
同情票を得る為の政治戦略であると語るインド人もおり、
いい所の坊っちゃんだがチャイ屋のバイトをした事もあるのか?
ハッキリしない。ちなみに私ヒンドゥー至上主義は反対である。
監督はマルコ・ヒュルサーと言うドイツ人。
インド映画にしたけど、ドイツ映画か??
<ストーリー>
5人のチャイ屋の生活や仕事だけでなく、家族、思想などにも
踏み込んで、5つの場面を混ぜながら進めて行く。
1人目:マハラシュトラ州プネで紅茶の店を経営している
ヨゲシュ。マンション住まい、外車所有・・・。
チャイを自分で煎れて生計を立ててる者ではなく、
チャイ屋を経営しているビジネスマンである。
1人だけ違う毛色だけど。
路上のチャイが10Rs(約16円)、ヨゲシュの店では
90Rsだが店内で座ってくつろげるしwifiも使える。茶葉も
高給な物を使用している。多すぎるほどの従業員を使っている。
10年間のアメリカ生活で得た知識で店を始めたが・・・・
やはりインドにはそぐわなかったのか閉店しバーベキュー店に、
転換して経営を続けている。
チャイ専門のチェーン店は数店あり営業を続けているが、
基本的にインド人は1日に何杯も少量のチャイを飲む。
腰を落ち着けて会話を楽しみながらと言うのが合わないのかも。
2人目:西ベンガル州コルカタの少女ゴウリは父親のチャイ屋を、
手伝っている。2人の姉と弟と両親。
ここで怪しいかったのはコルカタは西ベンガル州の州都であり
言語はベンガリー語である。少女はヒンディー語を話していた。
チャイ屋の少女が母語であるベンガリー語ではなく、
ヒンディー語を話していた事に違和感を覚えた。それも文法が
かなり正しかった。例えばベンガリー語はヒンディー語とは
男性詞と女性詩の区別、単数と複数の区別が違うので、
そこを区別してヒンディー語を話せないベンガル人は多い。
吹き替えである可能性もあるけれど。
28歳の長女は離婚しており再婚する。次女も結婚。
まだ十代のゴウリと弟は二人の姉とは考えが異なり、
愛のない結婚はありないし、持参金で婿を買うのは違うと言う。
弟は18歳で肺炎で死亡。
女性の再婚もかなり難しい。セレブ階級ならいざ知らず、
チャイ屋の娘が再婚できるのか? かなり疑問であった。
その都度、結婚のための持参金が必要だろうし・・・。
3人目:マハラシュトラ州の映画撮影現場で40年間チャイを
作り続けるムハンマドはウッタル・プラデシュ州のアラハバード
からムンバイにやって来た。監督にも俳優にも裏方にも平等に
チャイを煎れている事を誇りに思っている。
これぞ、プロ!のチャイ屋である。
本人は元アル中で(イスラム教なのに)なかなか縁談がまとまらず、
6人目でようやく結婚できた。孫にもチャイ屋の誇りを教えている。
40年働いたため定年(チャイ屋でも従業員か)する。
4人目:西ベンガル州ダージリンのスシャンタは夫と店をやっている。
小学生の娘がいる。カーストが下の夫と結婚したために親や親戚からは
さげすまされている。女性の地位向上のためにも娘を育て上げようと
頑張っているが、夫は肺がんで死去。
ダージリンは紅茶の産地でストレートで飲むダージリンティーが
主流であった。チャイ屋も探せばあったのかもしれないけど。
スシャンタがダージリンの人はダージリン紅茶は嫌いだと
言っていたが味が嫌いと言うよりは、イギリスの植民地として
働かされていたのだからかもしれない。
5人目:首都デリーの大きな市場でチャイ屋を営むスボダは、
ラジャスタン州出身で弟二人を連れてデリーに来た。初めは
月50Rs(約80円)の仕事で15年働き、その後、
チャイ屋を始め同じ村出身の若者の面倒を見ている。
ドイツ人監督が創った映画なので、インド人目線とは違う。
最初のビジネスマンはやはり違うんじゃないかと思う。
「マサラ・チャイ」ではなく「チャイ・ワーラー」として、
純粋にチャイで生計を立てている人だけにスポットを
当てた方が良かったのではないだとうか。私的意見だが。