ハードバピッシュ&アレグロな日々

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カウント・ベイシー/カンザスシティ組曲

2016-02-18 17:33:25 | ジャズ(ビッグバンド)
本日はカウント・ベイシーのルーレット・レーベルの再発シリーズから1960年発表の「カンザスシティ組曲」をご紹介します。カンザスシティはアメリカのほぼど真ん中に位置する都市で、中西部ではセントルイスと並んで比較的大きな町です。とは言え、ニューヨークやシカゴなどの大都会とは比べようもありませんし、特に観光名所のようなものもないため、印象的には地味です。日本人にとってはメジャーリーガーの青木宣親が一時在籍していたカンザスシティ・ロイヤルズぐらいしか馴染みがないかも知れません。しかし、1920年代から30年代にかけて、この目立たない地方都市が全米で最もジャズが盛んだった町だったというのは知る人ぞ知る事実です。ウィキペディア情報によると、当時のアメリカは禁酒法が施行されており、その煽りでジャズを演奏するナイトクラブも各地で閉店を余儀なくされたのですが、トム・ペンダーガストというギャングが町を牛耳っていたカンザスシティだけは自由にナイトクラブが営業できたため、各地からジャズメン達が仕事を求めて集まってきたとか。東部ニュージャージー出身のカウント・ベイシーもその一人で、1929年にベニー・モーテン楽団の一員としてこの町に居着き、1935年にモーテンが亡くなった後は、自らがバンド・リーダーとなり、カウント・ベイシー楽団を立ち上げます。そこに、地元出身の若きベン・ウェブスターやレスター・ヤング、バック・クレイトンらが参加し、カンザスシティ・ジャズの黄金時代を築き上げます。ただ、繁栄も長くは続かず、30年代後半にはベイシー楽団はニューヨークに進出。また禁酒法も廃止され、カンザスシティは普通の地方都市に逆戻りします。ただ、40年代にビバップを生み出したチャーリー・パーカーが当地の出身で、少年時代にカンザスシティ・ジャズを聴きながら育ったことは特筆しておかないといけませんね。



本作はそんなカンザス時代のベイシーへのオマージュとして作られた作品で、曲名にも“Vine Street Rumble”“Jackson County Jubilee”といった地名や、“Paseo Promenade”“Rompin' At The Reno”といったナイトクラブの名前が冠せられています。曲調も全て30年代のスイングジャズ風ですが、実際はこのアルバムのために新たに作曲されたもので、本作の作曲・アレンジを全て手がけたベニー・カーターの書き下ろしです。ベニー・カーターは以前にも当ブログでも取り上げたとおりスイング時代から活躍する名アルト奏者ですが、同時に作曲家・アレンジャーとしての才能もあったようですね。カーター自身はニューヨークやロサンゼルスを拠点に活動していたにもかかわらず、見事にありし日のカンザスシティ・ジャズの空気感を出すことに成功しています。全10曲、特定の曲に耳を傾けるのではなく、組曲のタイトル通りトータルで1枚の作品として楽しむべき作品ですが、あえてピックアップするならレイジーな中にも躍動感をたたえた“Miss Missouri”、トロンボーンソロの美しいバラード“Sunset Glow”、ナイトクラブのけだるい雰囲気が良く出た大人のジャズ“The Wiggle Walk”あたりがお薦めでしょうか?

メンバーはいつもながらの豪華なメンツ。この頃のベイシー楽団は固定メンバーだったらしく、メンバーは基本的に「ベイシー・プレイズ・ヘフティ」と同じで、トランペッターの一人がウェンデル・カリーからソニー・コーンに代わったぐらいです。残念ながらライナーノーツにはどの曲で誰がソロを取っているのか記載がありませんが、おそらくテナーのフランク・フォスター、ビリー・ミッチェル、トランペットのサド・ジョーンズ、ジョー・ニューマン、トロンボーンのアル・グレイあたりがソロを取っているものと思われます。御大ベイシーの音数の少ない独特のピアノも相変わらずです。何よりベイシー楽団の真骨頂である分厚いホーン・アンサンブルは絢爛豪華の一言ですね。
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