『いちゃりば兄弟~ある島の物語』は昨日、無事全公演を終了しました。ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
アンケートから声を拾っての総括なども考えていますが、今日は公演中に起きた“感動の再会劇(?)”の一席を・・・。
僕の高校一年の国語の先生は、琉球大学大学院を出たばかりの新任の教員だった。その同姓同名をある所に発見し、職業が教員、住所が神奈川県と僕より10歳ほど年上という、余りの符合にペンを取った。1982年頃に生田東高校にいらっしゃいませんでしたか?と。
公演2日目に劇団に電話があって、同一人物であることが解った。
「忙しいけれど、この偶然は面白いので時間を作っていきたい」と。
そして金曜に彼は現れ、終演後、飲みに言った
思えば、当時僕はまだ16歳だったから、実に24年ぶりの…まさに四半世紀の時を経て、恩師と初めて酒を酌み交わすこととなった。ニライカナイ【※】の神様の贈り物だろうか?
※ニライカナイ=沖縄の伝統的信仰で「神の住む海上遙か遠くの国」。
さて、ちょいと解説を加えるなら、彼の名を認めたのは朝日新聞の読者招待ハガキであった。重ねると30㎝はある応募の中、当選にはならなかった。昨今は個人情報保護法により顧客データ化もできないわけだが、参考までに地域と年齢の統計は取るようにしている。その中でふと目に止まったのだ。正直、その瞬間まで、その先生のことはすっかり忘れていたし、多くの生徒を教えて来た中で、彼は僕のことを覚えてもいなかったのだが。とにかく、僕は、その名前と、彼の経歴から沖縄を扱った芝居に興味を示すだろうこと、しかも神奈川県在住で年齢も想定内、とどめは「教員」である。とはいえ珍しい名前ではないから別人である可能性も残されていたわけだ・・・。
結果は前述したように、僕が高一で教わった恩師だった。
彼は「僕の教え子の中に文化的な仕事を生業にしている生徒が
いたことを嬉しいと思う」と再会前の電話で語っていたが
「で、先生今何処高で教えてらっしゃるのですか?」の問いに
「実はずっと細々と琉球文学の論文を書き続けて、
今は立正大学の助教授になったんだ」と。
彼自身が、長い時間諦めることなく努力して自らの夢を実現した当事者だったのだ。でも、そのことを知ったのも『いちゃりば兄弟』・・・出会えば皆兄弟のように仲良くなる・・・というタイトルを持つ舞台がきっかけなのだ。
こーゆー面白いことが起きるから、
益々芝居が辞められなくなるんだなあ。。。