ふと『ふれあい』を口ずさんだ
仕事帰りの夕暮れ時
中村雅俊や小椋佳のファンではなく、
……理由は1976年の4年1組にある。
私の通った東柿生小学校は
低、中、高学年の二年おき、
つまりは1,2年は同じクラス、
同様に3,4年、5,6年も同じ面子
というシステムだったが、
担任は諸事情で代わることはあった。
で。
我が3年1組の橘川節子は転任し、
4年1組は深谷忠男が担任になった。
・・・個人的には幼稚園の大津恭子、
小学校1,2年の秋野民江、前述橘川と
女の先生ばかりだった私にとって、
初めての男性教諭。
そして彼はオルガンではなく
アコーディオンを駆使し、
かつ、それまで唱歌中心から一転、
フォークソングを9~10歳に
聞かせ、歌わせたのだった。
そしてそして!
中でも一番一緒に歌ったのが
『ふれあい』だったのだ
てか、47年ほど前に歌った唄が
疲れたオジサンの口から零れる不思議
加えて、音楽の持つ力の偉大さ。
嗚呼、〈歌〉ってすげーなぁ。
演劇には、そうゆうパワーはない。
……確かにないけれど、別の力はある。
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