たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

10年前に比べれば・・・か、

2018年10月13日 22時10分44秒 | スイミング

元々は 若い頃からの腰痛問題対策、リハビリ目的で それまでは考えもしなかったプール通いが始まったのでした。
かれこれ 25年位も前のことです。
頻繁に ギクッ!(腰痛)が発症し その度に頼っていた 背骨矯正師から ある時 水中運動、水泳は 腰痛問題解消に効果的である等と 勧められたことがきっかけで 思い切って 地元公的施設の水泳教室に申し込んだのが始まりなんです。
当時 民間のスポーツジム、プール等 皆無では有りませんでしたが 小学生、中学生が中心だったような気がします。
現在のように 365日、中高年が主流のようなスポーツジム、プールが 無かったこと(少なかった)もあり 公的施設の水泳教室は 大フィーバー、先着順だったため 申し込み受付開始時間の2時間前の早朝から 長蛇の列だったことが懐かしく思い出されます。

昭和20年代から30年代前半、高校卒業まで北陸の山村で育ちましたが、当時は 学校にも 近隣地域にも プール等というものは無く 夏になると 近くの川の淀み等に飛び込んで遊ぶ位が(「水浴び」と言っていましたが) 関の山で、「泳ぎ方」等 習ったことも無ければ 第一 それまで プールに入ったことのない人間だったのです。
初日、おずおずとプールに入った時の不安、その感触、感動、未だに忘れることが出来ません。
指導員の指示で、浮いてみたり 沈んでみたり 水に馴れることからスタートでした。まるで 幼児の水泳教室の如し。
けのび、バタ足、を教わり、いよいよ クロールへ。
水泳競技大会の映像等は良く見ていた分けですから イメージだけは有りましたが 遠い世界?のこと、
自分がプールで泳ぐなんて 考えもしなかったことで 当然 クロールの泳ぎ方でさえ、まるでちんぷんかんぷん、息継ぎの仕方から 何から何まで 初体験。
苦しいながらも なんとか 25m クロールが出来たのは 半年後位だったような気がしますが 同じ仲間と 興奮しながら喜び合ったのが昨日のことのように 思い浮かびます。
その後 少しづつレベルが上がって 平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの初級へ進みましたが 半年、1年でどんどん進級する小学生、中学生のような分けには行きません。
一進一退のペース、
目的が 腰痛発症解消ですから のんびりと 細く長く。

「何十年やってても まるで上達しないなあー」
「そんなことないさ。自分じゃ分らないかも知れないが 10年前に比べれば かなりレベル上がってると思うよ」
「10年前に比べれば・・・・か」

今日も 19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスン土曜日に出席し 先程戻ったところです。
今日は O指導員による 背泳ぎ中心レッスンでした。
毎度 基本、基本の繰り返しですが 今日は 特に 姿勢をチェックされました。

今でも 忘れた頃に ギクッ!(腰痛)発症 することも有り、今年も夏に発症しましたが、
スイミング、水中運動を 続けてきた効果からか 発症回数は ぐんと減ってきています。
腰痛問題対策、リハビリ目的に変わりは有りませんが スイミングは 今では 爺さんのライフスタイルになっているのです。
とは言え 後期高齢者、果たして いつまで続けること出来るやら・・・。
現在、足繁く通えば 1レッスン当たり300円程度で済む、格安クラブ「シニア会員」になっていますが、
休むことも多くなっており・・・・、

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大根 最後の間引き 一本立ちに

2018年10月13日 08時10分46秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

10月も中旬、
「天高く馬肥ゆる秋」の候・・・、
の はずなのに、 
当地 相変わらず 曇や雨、曇時々雨、曇のち雨・・・等という天候が続いており、
澄み渡り 空が高く見える、安定した秋の空が なかなかやってこない。
湿った畑は、敬遠したいところ・・・、
仕方なし・・、
ドロだらけになる覚悟で畑へ。

(1)大根、3回目の(最後の)間引き、1本立ちに、
  昨年より やや早く 生育しているような気がする。

  間引きした大根菜
  塩漬け?、茹でてお浸し?

「天高く馬肥ゆる秋」とは、 
澄んだ秋空や快適な秋の気配を表現する際によく使うが、
元々は 中国の故事から由来したもの。
唐の詩人 杜審言の詩 「蘇味道に贈る」に記されている前漢時代の出来事に そのルーツがある。
前漢は 北方の遊牧民族国家匈奴と 度々争いを繰り返していたが 匈奴は 秋になると収穫物を奪いに強い騎馬で侵入してくることが多かった。
匈奴との戦いを指揮した前漢の将軍 趙充国が 敵襲に備えよと皆に警戒を促した言葉が、
「雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ」(秋になると 匈奴の馬が大きく育ち その馬で攻め込んでくるから警戒せよ)、
元々は 「秋の敵襲に備えよ」という意味合いだったのだ。
匈奴滅亡後に 現在のような意味合いで 使われるようになったということだ。

 

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