たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

映画「ローマの休日(Roman Holiday)」

2023年03月03日 20時27分30秒 | 懐かしいあの曲

先日、古いレコードで、オードリー・ヘプバーン主演映画「昼下がりの情事」の主題曲、「魅惑のワルツ(Fascination)」を聴いていて、次々とオードリー・ヘプバーン出演の映画やその主題曲が思い出されてきた。その一つに、「ローマの休日」も有る。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留めていたが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした

(ネットから拝借画像)

今更になってネットで調べてみると
「ローマの休日(Roman Holiday)」は、ウイリアム・ワイラー監督、グレゴリー・ペックオードリー・ヘプバーン、エディ・アルバート主演で、1953年(昭和28年)に公開された、アメリカのロマンチック・コメディー映画だった。この映画も、公開当時に、映画館で観たはずはないが、後年になってリバイバル映画館で観たり、テレビの映画番組等で観たりして、4~5回は観ているような気がする。
惜しむらくは、他の名作、大作には、必ずと言っていい程、素晴らしい主題曲(テーマ曲)、挿入曲が有って、音楽を聴けば、映画が思い浮かび、映画を見れば、音楽が思い浮かぶという具合だが、「ローマの休日」には、目だった主題曲(テーマ曲)が無く、映画音楽としては思い浮かんでこない気がする。
サウンド・トラックだけ聴いても、とっさに、映画「ローマの休日」に結びつかない感じだが、目だった主題曲(テーマ曲)等必要の無い程、素晴らしい映画だったとも言える。
さらに、随所で、ローマの有名な観光スポットが次々登場し、ローマ等訪れたことの無い者をも楽しませてくれるし、何よりも、まだ新人で初々しかったオードリー・ヘプバーンの魅力たっぷりの映画だった。「オードリー・ヘプバーン」と言えば、「ローマの休日」と答える人が多いはずで、オードリー・ヘプバーンの代表作の一つになったのだった。

映画「ローマの休日」 サウンド・トラック (Youtubeから共有)

コメント (4)

3月3日、ちょっと寒さが戻り・・・、

2023年03月03日 17時02分14秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、陽射しは結構強かったが、冷たい風がやや強く吹き、
体感的には、寒い1日だった。
体調イマイチだったが、午後になり、やおら重い腰を上げ、
ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約4,500歩。

モズ

 

コガモ

コメント (2)

「やよいさん」(再)

2023年03月03日 14時17分57秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、5年も前にブログ・カテゴリー「M男のあの日あの頃」に書き込んでいた記事、「やよいさん」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「やよいさん」(再)

毎年、3月になると、「弥生(やよい)」から連想し、ふっと思い浮かんでくることが有る。
昭和20年代、30年代、M男は、北陸の山村の1学年1クラスの小さな村立O小中学校に通っていた。小学校と中学校の校舎が同じ構内に有って、渡り廊下で繋がっており、体育館、教員室、トイレ等、全て共用、今で言う、小中一貫校のような体を為した田舎の学校だった。
故に、小学1年入学から中学卒業までの9年間ずっと、同じ校舎で、同じ同級生と過したことになる。

M男が、小学校高学年の頃だったか、中学生になってからだったか、記憶は定かでないが、体育館で(講堂と言っていたが)、毎朝行われていた、小中学校全校生徒の朝礼で、後年になっても、なんとなく記憶に残っているある表彰式が有った。
M男より2年上級の女子生徒、◯◯弥生さんが、県単位の、ある作文コンクールで最優秀賞を受賞し、校長が、特段に大きな表彰状を、◯◯弥生さんに授与した光景だ。
「こんな小さな学校の生徒が、県の最優秀賞を受賞した」という興奮と誇らしさが、校長はじめ居並ぶ教師から伝わっていたような気がする。
◯◯弥生さんは、M男の同級生、孝一の姉だということは分っていて、たちまち、「孝一、お前の姉ちゃ、凄いな」ということで、孝一もまた、注目されたものだった。
M男は、当時まだ、「弥生」が「3月」の異称であることも、あやふやだったと思うが、後年になって、そうか、弥生さんは、3月生まれだったのだろうと 想像したものだ。
当時、O小中学校には、教頭で有り 中学の国語を担当していたH先生がいた。トニー谷風の容貌と眼鏡、鋭い眼光、ちょっと見、近寄り難い厳しい感じのする先生だったが とにかく熱い先生だったと記憶している。そのH先生にM男達も習ったが、国語の時間、よく読書感想文を書かせられたり、日記を付けさせられたり、何かというと、「作文」の提出をさせられたものだった。教師でありながら、農村の若者達、青年団に演劇を指導する等、草の根演劇活動もされていたH先生だったが、多分、読書好き?、作文得意?の◯◯弥生さんに、目を付け、指導し、作文コンクールに応募させたに違いないと、思ったものだった。
ただ、表彰式の情景は思い浮かんでくるものの、◯◯弥生さんがどんな生徒だったか、どんな顔立ちだったのか等は、まるで思い浮かんでこない。1学年1クラスの小さな学校とて、上級生も下級生も、ほとんど名前、顔位は、覚えられそうなものだが、弥生さん、考一の家は、M男の家が有った村落とは逆の方向に有り離れていて、疎遠だったのかも知れない。当時は、何事も、男と女は区分され、別行動、2年上級の女生徒の名前や顔等、覚えることは無かったのだ。
後年になって、もしかしたら、あの賞は、それほど大きな賞では無かったのかも知れないとも思ったことがあるが、当時は、井の中の蛙、世間知らずのM男達、インパクトが大きかったのだろうという気がする。
ある種、憧れのように、「◯◯弥生さん」=「文学少女」、のイメージだけが、脳裏に焼き付いてしまい、未だに、「弥生(やよい)」という響きから、思い出されるのである。

コメント (4)