たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「エストレリータ(Estrellita)」

2023年03月23日 20時49分12秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日は、朝の内曇っていたものの、午前中には、霧状の雨降りとなり、
1日中、梅雨の頃のような空模様だった。
この時期の静かな長雨は、「菜種梅雨」と呼ばれているようである。
気温も急低下、着る物も日替わり、忙しい。
妻のマイナポイント申し込み手続きと買い物に付き合っただけで終わってしまい、
スマホの歩数計も、約1,500歩、
夕食前の手持ち無沙汰な時間、ふっと思い浮かんだ曲、「エストレリータ」、
「ブログ内検索」してみたら、5年前にも書き込んでいたことが分かったが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネットで調べてみると
「エストレリータ(Estrellita)」は、元々は、1913年(大正2年)に、メキシコのマヌエル・マリア・ポンセ(Manuel Maria Ponce)が、作詞、作曲した歌曲なんだそうだが、数多の音楽家、楽団に、ジャズ、ポップス等にアレンジされ、ヴァイオリン、トランペット、ピアノ、フルート、サックス等で演奏され、広く親しまれている楽曲だ。
「エストレリータ(Estrellita)」は、 スペイン語で、「小さな星」という意味で、ムード有る美しい旋律の「エストレリータ」は、若い頃、初めて耳にして以後、お気に入り曲の一つになっている。

ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn)演奏の「エストレリータ」
(YouTubeから共有)、

千住真理子のヴァイオリン演奏の「エストレリータ」
(YouTubeから共有)

フランク・チャックスフィールド(Frank Chacksfield)の「エストレリータ」
(YouTubeから共有)

チャーリー・パーカー(Charlie Parker)の「エストレリータ」
(YouTubeから共有)



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「来るな来るな」と 振る手のひらが 「来い」に見えるを 「恋い」という

2023年03月23日 16時21分54秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。「ことわざ」の感覚で、これまで聞いたことも有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例 その8 
「来るな来るな」と  振る手のひらが 「来い」に見えるを 「恋い」という


(ネットから拝借イラスト)

フム、フム、なーるほど・・、

おあとがよろしいようで・・、

(つづく)

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