足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その24
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る
出典
拾遺集(巻十四)・蜻蛉日記
歌番号
53
作者
右大将通綱母
歌意
(あなたがおいでにならないのを)嘆きながら
ただひとり寝て夜の明けるのを待っている間の
どんなに長く感じられるものかを
(あなたは)おわかりでしょうか。
(おそらくおわかりにならないでしょうね)
夫が妻のもとに通うという当時の「通い婚」の風習の中で
冷たくなり、通ってこなくなった夫に対する
女性の精一杯の抗議の気持ちを詠んでいる。
注釈
「嘆きつつひとり寝る夜」=「嘆き続けて独り寝をする夜」の意。
「明くる間は」=「明けるまで間は」の意。
「いかに久しきもの」=「どんなに長いものであるか」の」意。
「かはする」の「かは」、反語の係助詞。
右大将通綱母(うだいしょうみちつなのはは)
伊勢守藤原倫寧(ふじわらともやす)の娘で、
摂政藤原兼家に嫁ぎ、右大将藤原道綱を生んだ。
美貌で文才も有ったが、
かなり自我が強い女性だったとされている。
藤原兼家と結婚後の21年間にわたる
生活の回想録である「蜻蛉日記」の作者として有名。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)