足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)
「中宮様は生涯の主人」・まんがゼミナール「枕草子」その10
第101段 「御方々、君たち」
何事にも第1番でなければ気のすまない勝ち気な性格の清少納言、人(男性)に愛されるのも第1番でなければ嫌だと公言するが、それを中宮定子が 「私のそなたへの愛が第1番でなくては、受け入れぬのか」と意地悪を言ってからかう。清少納言は 中宮定子から愛されるなら、最低でも結構ですと答えるが、それは変節と中宮定子から咎められる。中宮定子の前では、日頃勢いの良い清少納言もぼろくそで、隔てのない二人の心の交流が描かれている段。
(中宮定子の部屋、中宮定子が なにか投げてよこした)
あっ!、デッドボール。いえ、チップ、チップ。
ところで、何の文でおますのやろ・・・、
愛してあげたいと思うけど、
そなたが お友だちNo.1というわけにいかへんと
ゆうたらどないするねん。
まっ!、ワテを試しはってるのやわ・・・。
日ごろワテが、人に愛されるなら、一番目やなかったら
意味がないと 言うたことを。
さあ、この筆と紙をお使い!、はい、
極楽には 九品蓮台とか申しまして、
九つの階段があるとか申しますが・・・、
それになぞらえ、下品でもよろしと思うとります。
えっ!、ウッソー!、
ドキッ!、
いつもは、二番、三番に愛されるなんて、
死んでもいややなんて言っていたのに・・、
は・・・、
えろう、弱気になっておるやないの。
それは、お相手次第でおますから・・。
それがよろしおへんのや。
ベストワンのお人のナンバーワンに思われたいと思わなくては・・。
ほんま、真理を仰せや。
原文だよーん
御方々(おほんかたがた)、君たち、上人(うへびと)など、御前(ごぜん)に人のいと多(おほ)く候(さぶら)へば、廂(ひさし)の柱に寄りかかりて、女房と物語などして居たるに、物を投げ賜はせたる、あけて見れば、「思ふべしや、否や。人、第一ならずは いかに」と 書かせ給へり。
御前にて物語などするついでにも、「すべて、人に一に思はれずは、何にかはせむ。ただいみじう、なかなか憎まれ、あしうせられてあらむ。
二、三にては、死ぬともあらじ。一にてをあらむ」などと言へば、「一乗(いちじょう)の法ななり」など、人々を笑ふことの筋なめり。
(注釈)
中宮定子様のお身内の方々、若君たち、殿上人等、中宮定子様の御前には 人が大勢伺候しているので、私は、廂の間の柱に寄り掛かって、他の女房と話をして座っていたところ、中宮定子様が 何やら投げておよこしになったので、開けて見ると、「あなたを可愛がってあげようか、どうしようか。もし第一の愛し方でないなら、どうでしょう」とお書きあそばしてある。
中宮定子様の御前で、かって話等をした際に、「万事、人に第一番に思われるのでなくては、何のかいがあるでしょうか。ただもう悲しく、かえって憎まれたり、悪く扱われたりする方が良い。第二、第三の扱われ方では死んでも嫌です。第一番でどうしてもいたいわ」等と言ったりして、「それでは、仏教の一乗の法みたいね」等と人々も笑われたが、それに関したことのようだ。