「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その54 「学校の周辺の雪割り」
昭和31年(1956年)1月20日、金曜日、天気 曇、
起床 5時40分、就床 21時10分、
1限、職業、特別作業で学校前の雪割り、
2限、数学、三角形
3限、理科、テスト、
4限、国語、文章、?
5限、図画、特別作業で中道の雪割り、
6限、社会、世界の生活、
1、太陽が17日ごろ(頃)からはげしい(激しい)爆発をおこし(起こし)、
無線電話を外国に送り入れするのに困っているそうだ。
地球上にも変化があるらしいといって(言って)いる。
2、1限は、元組合まで、わって(雪割りし)、5限は、倉庫から道まで(雪割りした)。
帰家(宅) 15時50分。
1時間目の「職業」と、5時間目の「図画」は、授業を潰して、学校の周辺の「雪割り」をしたようだ。当時、M男達が、「雪割り」と言っていたのは、積り積もって根雪になったしまった道路や屋敷等に、人が通るだけの幅1m~2m程をスコップで掘り割って、1本の道筋を作ることだった。車社会以前、除雪車や除雪機械等、無かった時代のことである。村落中が雪で埋まり、根雪が解け始める頃までは、「雪割り」をすることなく、「かんじき」で踏み固めた雪上の1本の道筋を往来して暮らしていたものだが、どうやら、学校の周辺だけは、「雪割り」をしていたようだ。わずかに記憶が炙り出てくるが、確か、「雪割り」作業予定日には、生徒(多分、男子生徒だけだったと思うが)各自、家から角スコ(現在のようなプラスチック製、アルミ製のスコップ等無かった時代、四角い雪割り専用鉄製スコップ)を担いで登校したような気がする。現在のようなジャージや作業着等もなく、学生服のまま、長靴で、ズラーッと並んで、汗だくになって掘割っていく人海戦術、その情景が思い浮かんでくる。村落の中心に有った小さな中学校の周りには、当時、村役場、農協の建物が有ったが、もしかしたらその職員達も一緒になって「雪割り」をしたのかも知れない。住民が「組合」「組合」と言っていた農協は、供出米の集荷だけでなく、村落唯一の金融機関?であり、ホームセンター?であり、農事の司令塔?でもあった時代、住民にとっては重要な機関だったと言える。
夜間に降り積もった雪で、
かんじきで踏み固めた雪道も埋もれてしまい、
隣りの家にも行けなくなる、
当時の近所の朝の風景。
こんな朝は、各家から男衆が出て
かんじきで道を作ることから1日が始まったものだった。
振り返り記事
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2017年1月25日 「かんじき」