時々、gooブログの「アクセス解析」、「アクセスされたページ」を覗いたりしているが、何年も前に書き込んだ古い記事、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりすると、「そう言えば・・・・」、なんとなく懐かしくなってしまい、ちょくちょく、コピペ、リメイク(再編集)している次第だ。
6年前に書き込んでいた記事、「つもりちがい十ヶ条」を、コピペ、リメイク(再編集)
数年前のこと、相互フォロワー登録しているある方のブログを拝読していて、「元善光寺」に目に止まったことが有った。それまで、すっかり脳裏から消え去っていた「元善光寺」だったが、「もしかしたら、あの元善光寺?」・・・・、記憶が炙り出てきたのだ。
40年位前に、所属団体の親睦旅行で、1度訪ねたことのある、長野県飯田市にある、天台宗の寺院「元善光寺」だったのだ。
今更になってネットで調べてみると、
「元善光寺」は、推古天皇の時代に創建された寺院。地元の住人、本多善光が、難波の堀江(現在の大阪)で、「善光寺如来の本尊」を見つけて持ち帰り、自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことから、「座光寺」としたことが始まりとされている。その後、勅命によって、「善光寺如来の本尊」は、現在の長野市へ還座され、本多善光の名前を取って、「善光寺」と名付けられたため、もともとの「座光寺」は、「元善光寺」と呼ばれるようになったということである。
「一度詣れよ 元善光寺 善光寺だけでは 片詣り」
実は、ある方のブログで目に止まったのは、「元善光寺」の沿革等ではなく、元善光寺の住職が作られたという、「つもりちがい十ヶ条」の方なのだ。
40年位前に訪れた際には、全く気がつかなかったのか、全く関心が無かったのか、いただいた記憶が無いのだが、いろいろなところで広く紹介されていることを、その時初めて知り、目から鱗・・となったのだった。
「つもりちがい十ヶ条」は、二行で一連、五連の語句になっており、一連毎、なかなか含蓄のある 人生訓のようで、ある種、ユーモアも有り、思わず頷いてしまう。
ついつい偏見と傲慢になりがちな我々に対する警句とも言える。なるほどと感じ入りながら、肝に銘じて暮らして行きたいものだと思ったものだ。
信州 元善光寺の「つもりちがい十ヶ条」
高いつもりで 低いのが 教養
低いつもりで 高いのが 気位
深いつもりで 浅いのが 知識
浅いつもりで 深いのが 欲望
厚いつもりで 薄いのが 人情
薄いつもりで 厚いのが 面の皮
強いつもりで 弱いのが 根性
弱いつもりで 強いのが 自我
多いつもりで 少いのが 分別
少いつもりで 多いのが 無駄