足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)
「ワテの愛する季節どす」・まんがゼミナール「枕草子」その4
第130段 「九月ばかり、夜一夜」
晩秋の雨の後の庭の情景が、実に印象的に描かれている段。
特に蜘蛛の巣の破れ残ったところに露が煌めいている様子に目を向け、まるで真珠を貫いたような情景だと描写するあたりは、いかにも清少納言らしい細やかな描写である。。
(九月の頃、一夜降り明かした雨が 朝には止んで・・)
わあ! 朝日が、パッと華やか・・・、
前栽の露もこぼれるばかり・・・、
透垣の羅文や、軒の上にかけた蜘蛛の巣の破れのないところに
白い玉を連ねたようなこそ・・、
いみじくも、おかしけれっ!、
ほんまに、すてきや、
少し、日が高くさし昇ると
えらい重たげやった萩の露が落ちて、枝が動き、
人が手を触れたでもあらへんに、
ふっと跳ね上がる。
おもろいわあ。
(つまんない。あんなもん、飽きずに眺めちゃってサ)
と他人が言うのも面白いどすわ。
わあ!、いみじくもおかしけれ!。
(こないなものは つゆ、おかしからじ)
他人の気持ちとして、少しも面白くあるまいと思うことこそ、
またおかしいわ。
原文だよーん
九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、
今朝は止みて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、
前栽の露こぼるばかり濡れかかりたるも、いとおかし。
透垣の羅文、軒の上に、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに
雨のかかりたるが、白き玉をつらぬきたるやうなるこそ、
いみじうあはれにをかしけれ。
少し日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、
露の落つるに、枝のうち動きて、人も手触れぬに、
ふとかみざまへ上がたるも、いみじうをかし。
といひたることどもの、
人の心にはつゆをかしからじ、
と思ふこそ、またをかしけれ。
(注釈)
九月頃、一晩中降り通した雨が
今朝は止んで、朝日が実に鮮やかに照り出した時に、
庭の植え込みの草木の露がこぼれ落ちるほどに濡れるかかっているのも、とても風情がある。
透垣の上の羅文や、軒の上に張り渡した蜘蛛の巣がこわれて一部分残っているところに
雨の降りかかっているのが、まるで真珠を糸で貫き通したように見えて
それこそ、とても情趣が有って面白い。
少し日が高くなってくると、萩等がとても重そうになっているが、
その露が落ちると、枝が自然と揺れ動いて、誰も手を触れないのに、
すっと上の方へ跳ね上がったりするのも、ひどく趣が有る。
とある人に言ったりしたことなどが、
他人の心には少しも面白くもあるまい・・
と思ったりすると、それがまた情趣深いことである。