故郷を離れて50年以上、子供の頃 使ったり聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。
No.14 「おてしょう」
「小皿」のことを 言っていたように思います。
例えば
「ネイチャ ソコノ オテショウ トッテクンナイ」
(おねいさん そこの小皿を 取って下さい)
「オテショウニ ワケテ タベマイカ」
(小皿に 分けて 食べましょう)
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No.13 「ねまる」、No.12 「もうぞこく」、No.11 「ぴしゃる」、No.10 「はりこむ」、No.09 「おんなる」、No.08 「かまける」、No.07 「やばしい」、No.06 「こわい」、No.05 「あせくらしい」、No.04 「しょうしい」、No.03 「~くんない」、No.02 「またじ」、No.01 「おぞい」
→ 「懐かしい故郷の方言」
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昭和30年代、40年代頃の 「ハサ」の写真です。
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つらら様へ
「ハサ」について。
今は ほとんど 機械で 稲刈りし 脱穀までしてしまい 大型の乾燥機で乾燥していると思いますので 刈った稲を 天日で乾燥させるための 「ハサ」を見る機会は少なくなっていると思います。
昭和30年代、40年代位までは まだ 写真のような 「ハサ」で 刈った稲を 乾燥させていました。
「ハサ」の形、高さは 地方によって 様々のようですが 私の故郷の「ハサ」は 7段、8段・・と 高い「ハサ」で 上部には 稲の束を投げる役と 上で受取り掛ける役 二人組でやっていました。
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私も郷里の新潟で、学校から帰ると毎日のようにハサ掛けの手伝いをさせらていました。。
今ではもうすっかり見られなくなった風景ですが・・大変懐かしく思い出しました。
そうでしたね。子供が手伝いをするのは当たり前の時代でした。田植え、田の草取り、稲刈り、脱穀・・・、家族全員で、
カメラも持っていなかった家でしたので 誰かが撮った写真を貰ったんでしょうか。実家取り壊しの際に 引き取ってきたボロボロのアルバムに貼ってありました。
稲架がけ、こちらで見かけるのはせいぜい一段がけになりました。それは自宅用で供出用はそのまま農協へ直行です。
よくわかりました。ってこの手の一段か2段ぐらいなら今もやってる家があります。
コンバインでわざと束ねるだけにして
干してからやると全然味が違う。めちゃおいしいのです。
ハセって言う名前ですが
私が知ってるのはハゼって言うと思います。
地域によって名前がちがうのかな?って
思ったので質問させていただきました。
わざわざ写真をスキャンして取り込んで
アップしてくださってありがとうございました。
昔の人たちは体力あったんですね。
一番上に上がった人に届くよう
投げ上げるのは至難の業だと思います。
「ハサ」・・・、子供の頃 上で受けて、掛ける役を よくやらされました。消防の出初式のハシゴの如く 足を引っ掛けて・・、
刈った稲も 自動車が無い時代、リヤカーに満載し 引っ張ったり、押したりして 運搬したのですがら やっぱり 体力が有ったということですね。